実に不愉快な本「認知症鉄道事故裁判」高井隆一著

読んでいて、これほど腹が立った本は、滅多にない。

私は、母が認知症であるため、以前からこの事故に関心があり、この本を図書館で借りた。
 
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認知症鉄道事故裁判 閉じ込めなければ罪ですか?」 ブックマン社刊 初版2018年4月13日
 
ご存知の方も多いと思うが、この本は、認知症の父親がJRの線路上に降り立ち、跳ねられ死亡し、その後、JRから、遺族に対し、管理監督者として、事故により発生した損害の賠償請求がなされたことを、最高裁まで争ったケースである。
 
どういう背景であったか要約すると、
 
・事故発生は2007年12月7日。筆者57歳。非常に外出願望の強かった91歳の父が、家族が目を離したわずかなスキに家を飛び出し、自宅近くの大府駅ではなく隣の共和駅の線路に降り立ち、電車にはねられて死亡。
・金銭も持たない老人がどうやって大府駅から入り込み、共和駅までたどり着いたのか、共和駅のホームからどうして線路上に降り立ったのはすべて不明。線路に降り立った理由はおそらく、高齢で頻尿であった当人が排尿しようとした、と推測。
・筆者は長男(1950年生)。中央信託銀行の取締役まで務めた人物なので、書いてはいないが、相当収入も多かったと推測される。このような大企業人であったため、あさひ法律事務所という、一介のしろうとでは到底相手にされないであろう弁護士事務所の弁護士とは長年懇意で、最高裁まで当事務所の3人の弁護士を依頼し続けることが可能であったと思われる(私見)。筆者は仕事上、法務事務も経験している。
・筆者は横浜住まいで、実家の大府からは遠い。父の認知症のため、妻が横浜から別居し大府の実家に住んで介護をしてくれていた。
・筆者には、介護のプロである妹がおり、まだ介護保険制度の発足当初から、認知症介護について常に最新の情報を得ることができた。
・妹と妻は高校の同級生で親友同士。
・母は事故当時85歳。
 
ひとたびこのような人身事故が起これば、振替輸送、事故処理、等々、多大な損害が生じる。今回JR東海から最初に請求された金額は合計7,197,740円であった。明細もあり、妥当と思われる金額である。
しかし、上記のとおり収入面でもゆとりがあったであろう筆者であるが、
「父は悪いことは何一つやっていない」
「線香の一本もあげに来ないで、急に内容証明で請求された」
JR東海認知症家族に理解が足りない」
などという不服を持っていた。
 
筆者のそれらの言い分と、過去の判例に照らし、単純に損害額を賠償して欲しいJRとの間のずれっぷりもあるが、私が腹が立ったのは、筆者による以下のような言いぐさであった。
 
「ざまあみろ、JR東海め」(P19. 弁護士から、最高裁での逆転勝訴の報を聞いて)
「不審な人物を見かけたら駅員に連絡してください、との張り紙がありましたが、駅員は何もしないのかと感じました」(P29. ええっ?何言ってるの?警察だって同じこと言っているでしょ。だけど「何もしていない」ことにはならない)
「扉に施錠してあれば父は線路に降りることはなかったはず」(当時のJRが、認知症老人がそんなところから線路に降りるなんて想像もできなかったはず。)
 
なによりも、あきれてあごが外れそうだったのは、この筆者は、事故当時57歳にもなっていながら、父がこんな事故を起こしたことを、JR東海に自らおもむいて、謝罪か、あるいは、どうしても父は悪いことをしていないと言い張りたいのならそれもあるかもしれないが、とにかく、JRのしかるべき人を探し出し、それなりの挨拶をしに行くといった、大の大人なら誰でもすることをせず、
「こういう場合はどうするのか、そもそも損害を払うものなのか、こちらから連絡しなければいけないものなのか、どこに連絡したらいいものか、まったくわからなかったのです」(P76)
「なんらかの話し合いがあるものを思って連絡があるのを待っていた」(P77)
「いきなり内容証明を送り付けるのは全体未聞で非常識なやり方」(P78) (注:私は弁護士事務所に勤めていたけど、それは普通)
 
と、わからないから自分から積極的に調べるなり、大府駅共和駅に出向き、JR東海のしかるべき部署を教えてもらい訪問する、という、小中学生でもしそうなこともせず、ただただ家で音沙汰を待っていたというお粗末さなのである。わからないなら、聞いて調べる。こんなこともできないおっさんが大銀行の取締役とは、あきれた。
 
長くなるので省略するが、結局、この裁判は、「この亡くなった認知症老人の法定の監督者は誰か」というところが争点で、高齢で要介護認定を受けている妻にはその責任はない、長男に対しても同様に遠隔地に住んでいたから問われないということになった、というのが主眼である。この最高裁判決は、大手弁護士を使った効果か、遺族に対し、非常に温情ある拡大解釈を行った。そして日本中に知れ渡った。
 
そしてもっともっと長くなるけど、筆者に対してさらに腹が立ったのは、これだけJRに迷惑をかけておきながら、「父はJRに殺されたようなもの」と、被害者一辺倒の姿勢しか取っていないことである。この事故で迷惑をこうむった人は非常に多かったし、死体の処理にかかわった人らも大勢いたはず。しかも、そういった人たちへの陳謝の意思表示がみじんもなかったことだ。私は、そのような事故を起こす羽目になってしまったその車両の運転士が、その後、いかに精神的に被害を受け、トラウマを抱えてしまったか心配なのであるが、筆者は全くそんなことも感じていない。さらには、こんなことまで書いていた。
「少なくとも、最高裁判決は、JR東海のような大企業ならば泣き寝入りしてもらってもよい、という先例になった、とも思っています」(P225)
 
なんだと? 私はこの一節には激怒も激怒した。お前は何様なんだ?
 
弱者強者、被害者強者というらしいが、迷惑をかけてすまないという謙虚さと、最初から自分で連絡先を調べ、自らJR東海のしかるべき部署に挨拶に行っていれば、事はもっと穏便に済まされたかもしれないのだ。そんな姿勢を欠きながら、JRを殺人企業呼ばわりするとは。
「閉じ込めなければ罪ですか」という副題があるが、死んだ父は、異常なまでに外出願望が強く、門扉に施錠をして出られないようにしておくと、発狂したように出よう出ようとする人であった。それで施錠を解くと落ち着くとあった。さらに、訴訟提出用に、介護の専門家らから、
認知症老人を閉じ込めることは、人権侵害である」
という美しい理念を答弁書に出してもらっている。しかし、専門家らは、人権、人権とは言うが、人権を守ることによって生じる損害についてはなぜ一言も言及しないのか。
 
不愉快になりたい人、腹を立てたい人にはお勧めの本です。