運転免許は18歳から75歳までに(返納奨励は65歳から)

https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190425-00000001-tospoweb-ent
 
作家の百田尚樹氏が、池袋で発生した87歳の「上級国民」ジジイによる2人殺害10人負傷事故について、炎上覚悟で行ったツイートを読んだ。
 

百田尚樹氏が池袋暴走に大激怒「こんなジジイから免許を取り上げなかった嫁や息子にも怒りがおさまらん」

4/25(木) 8:53配信
東スポWeb
 構成作家百田尚樹氏(63)が24日、ツイッターを更新し、池袋の暴走事故に言及した。

 19日、東京・豊島区の池袋で高齢男性(87)が運転する乗用車が暴走し、通行人を次々とはねた。自転車で走行していた31歳の女性と3歳の娘が死亡。8人が負傷した。

 運転していた旧通産省の元官僚で工業技術院の元院長は逮捕されずに、入院している。

 百田氏は「炎上覚悟で言う!」と前置きしつつ、激しい怒りを表明。

「ほっといてももうすぐ死ぬジジイが、若い母親と幼子の命を奪い、家族を悲しみの淵に叩き込んだ! ジジイにもムカつくが、こんなジジイから免許を取り上げなかった嫁や息子にも怒りがおさまらん」と責任は家族にもあると指摘。
(以下略)
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一瞬にして最愛の妻と娘を奪われてしまった男性の会見を見て、涙しなかった者はいないだろう。あの飯塚老人は、事故を起こしたあと、救急車を呼ぶ等被害者の救済には目もくれず、息子に電話をかけ、自宅固定電話の番号を変えさせたり、FacebookSNSの削除等、せこい保身に奔走した。偶然にもほぼ同じころ、神戸の路線バスの運転手が死傷事故を起こしたが、この運転手は現行犯逮捕されたのとひどい対照をなしている。もう87歳の飯塚老人は、このままあらゆる病気(ボケの演技を含め)を総動員して、逮捕を免れ、入院したまま死に逃げするかもしれない。交通の便がいくらでもある都会で、しかも足がびっこなくせに、運転をし続けたことがさらに腹立たしい。
上記百田氏関連の記事のコメント欄(現時点で4389件もある)を見て、頑固ジジイから免許を取り上げるのに苦労した家族からの実例が多数挙げられている。例をごく少し転記させていただきたい。
全く同感です。私は 83歳の父親から車のキーを取り上げました。頑なにに鍵を握り締め渡そうとしない父親の指を1本ずつ外して取り上げました。親父は俺に死ねと言うのか恨みを込めた右手私を睨みつけましたが、これ以上事故起こして孫娘が結婚できなくなったらどうするのだと言って取り上げました。これまでも毎年のように何件も事故を起こしており、もうダメだと思い心を鬼にして取り上げました。
免許を取り上げなかった家族も同罪。
ただ、年寄りは頑固だったりするから、国が強制力を持つ方が効果的だと思う。
しかし、高齢者にはガンコで石頭、人の話を全く聞こうとしない人がたくさんいます。
それなりの地位でキャリアを積んだ人ほど、その傾向が強いのではないでしょうか。
こういった高齢者こそが、本当に厄介です。
家族にとっては、手に負えない存在なのです。
私も去年、77歳になる父の免許を返納させました。
その2年程前からずっと説得をして来ましたが、頑なに拒否され続けていました。
ですが去年、父の車庫入れもままならない運転状態を目の当たりにし、家に突っ込んで来るのではないかと恐怖を感じる運転に背筋が凍り、1度の父娘の取っ組み合いを経て、免許返納させました。
父はいまだに自分は大丈夫だったと言っています。
父は免許更新直後から認知症の症状が出始め、近所の塀に追突した際に返納を説得しましたが、「保険で処理しているし、自分も怪我していないから次は気をつける」
父はあちこちで接触事故を起こしました。お付き合いのあるディーラーさんに車を売らないでと頼みに行きました。
しかし現金を握り締めて行けばその場で売る中古車業者など山ほどいるのです。半年で三台中古車を買って、家族で返しに行きました。
認知症の検査に連れて行くのにも苦労しました。応じようしない父をだまして連れて行きとうとう認知症認定をされ、免許を返納しました。
カギを取り上げ、スペアキーが出てきて運転されることも考え、ハンドルロックも付けました。何度か家までカギを返せと怒鳴り込まれました。
人間、年を取れば取るほど頑固、偏屈、かたくなになり、自分の老化や能力の衰えを認めないものなのだ。この事故を契機として、法律で、免許証の上限を後期高齢者の75歳に限定するべきであろう。返納推奨は65歳から開始しよう。70過ぎたら年に1回実技試験と認知症試験も課すことだ。寿命の延びと比例して、高齢ドライバーはどんどん増えるのだ。
コメントの中には、認知症のため運転は無理という診断書を書く医師を恫喝し、暴力でボコボコにし、いたたまれなくなった医師が渋々「運転可」の診断書を書かされたという例もあった。老化とは、悲しいが、こういうことなのである。一番それをわからないのは、当の老人本人である。
私が大嫌いなコメントは、上にも出ているが、俺に死ねと言うのかという捨て台詞である。これはどこかでよく見るなあ、と思ったところ、生活保護受給者が使うのであった。国が、保護費から「〇〇手当を除外する」という決断をすると、朝日新聞とか毎日新聞などに、保護受給者の「国は、俺たちに死ねってことだな」という一文が必ずといっていいほど出る。自分の生活もまかなえないくせに、そして、運転もままならなくなったくせに、こんな汚らしい、開き直りのセリフはほんと聞きたくない。
田舎では車がないと生活できない、と言うセリフも必ず聞く。「田舎限定免許」ってのができない限り、70歳過ぎたら都市部に移住するか、田舎に住み続けるならUberや宅配サービスを使うべきだろう。とにかく、「自分はまだまだ大丈夫」という思い込みに、ボケと頑固さが加わるほど、やっかいなものはない。田舎だからといって、衰えた老人が運転して良いという免罪符にはならない。「生活できない」のなら「生活できるところを探して住む」義務があるという意味だ。