「京急線の謝罪」と「街路樹」

京急線が走り出した。

 

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平常通り運転される、ということがいかにありがたいかを、今回、そして今朝も身をもって知った人は多いだろう。

 

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Keikyu 2

そして、日本人らしく、日本企業らしく、お詫び文が日英文で貼り出された。

京急自身だって被害者なのに、日本では、これは致し方あるまい。とりあえず謝っておけば乗客の怒りの矛先はおさまるのだから。

海外だったら、自分のミスでなければ、絶対謝罪なんかしないだろう。飛行機だって、自らの落ち度でない限りは、何十時間遅延しようと、到着する空港が大幅に変更されようと、絶対に謝らない。もし謝ったら集団訴訟が待っている。

 

なんでもすぐ謝りさえすれば許してもらえる、という感覚を、日本国内で納めているのならまだ許せる。最近もっとも腹が立ったのは、維新の党が、丸山穂高議員の「戦争をしてでも北方領土を取り返せ」といった発言を、ロシア大使館にまでのこのこ謝罪に行ったことである。この一件だけで、維新の党は、超ドメスティックな政党であり、海外に住んだり留学したりした経験のある人間がゼロなんだとわかる。泥棒に謝りに行くバカがどこにいるんだ。従って、維新の党は、国政(外交)にかかわる資質はない。ロシア人や支那人、韓国人が日本や日本人に何か悪さをして謝ったことが一度だってあるか。

 

今朝まで続いた台風もこれまたすごかった。ベランダを見たら、街路樹の葉っぱだらけになっていた。歩く道も葉っぱだらけ。

ふっと、基本的なことを思った。人はなぜ、街路樹を植えるんだろう。

考えてみる限りでは、緑が美しい、目と心の保養になる。日射を遮る、街路に彩を添える、酸素を出してくれる、歩道と車道の境界線をはっきりさせる、などが考えられる(ほかにあれば教えてください)。

しかし、樹木とは、植えるだけではない。台風がなくとも、毎年、秋を過ぎたら、落葉がすさまじい。葉っぱをかき集めて捨てる作業の手間、燃やす税金、等々、植えたあとの世話が大変である。樹木は、植えただけでなく、世話をしてなんぼだ。

道路沿いの掃除や草木のメンテナンスも、公共工事に含まれると教わったことがある。緑を保つには税金がたっぷりかかるものだな。