即位の礼

改めて認識した。日本の皇室とは、日本の文化そのものなのだ、と。

亡父が時々文句を言っていた。

「皇室制度自体は悪くないんだが、それにまとわりついている有象無象どもがなあ」

 

確かに、宮内庁職員をはじめ、各宮家に仕える職員その他、皇室の維持と運営にかかわる人は、数え上げたら私の想像を超えるに違いない。どこかへお出かけするにしても、欧州の王族は自分で車を運転して出かけることもあるのに、日本の皇室は、前後におびただしい護衛が付く。気の遠くなるような税金も注がれている。しかし、それだからこそ今日まで保てている、と言う面もあろう。

 

ともかく、今日の一連の儀式は、2600年以上もの間、他国に一度も征服されたことのない島国の運もあって、一度も絶えることなく存続し続けた世界最古のmonarchをいだく意味と幸せを、我々日本人が再度考える良い機会となったのではないだろうか。

皇室が無ければ、かくも世界中の180以上の国と地域から、王族や首脳を集める機会をわが日本が持つなど、ありえない。

天皇と同世代の欧州プリンスたちは、3人(スペイン、オランダ、ベルギー)が国王となられている。しかし、前回の、現上皇陛下の即位式の際にも出席したチャールズ殿下は、30年たってもまだお母さまが女王から降りないので、70過ぎても殿下のままなのがちょっとお気の毒に見えた。カミラさんも連れて来なかったし。

 

雅子さんの精神の病は完治したとは聞いていない。「皇室にいることそのものがストレス」という、非常にストレートな理由で病にかかり続けているようだが、その環境のまま皇后になれるのか、ずっといぶかっていた。天皇の妻は自動的に皇后になるので、雅子さんは、十二単におすべらかしという古式ゆかしいいでたちで式に臨まれていた。「あの時、エレナ王女のレセプションにさえ出なければ」と思ったことも一度ならずあっただろう。海外に行くことを強く望んでいたが、肝心の出産には消極的であり、精神の病があるとはいえ、公務も宮中行事もすっぽかすような方に、今後、おそらくは30年前後続く皇后の地位に居続けること、文化を次に伝えることができるのだろうか。「マサコサマ~」なんて、車にむかって黄色い声をあげるおっかけおばちゃんもいるみたいだけど、私は到底そんなミーハー気分にはなれない。

 

天気が悪かったのを見て、このお二人が結婚された当時を思い出した。当時も雨がちで、何かの公務におでましになると、よく雨が降っていたのを覚えている。どこかで竣工した橋の開通式に呼ばれた時など、車の窓から外が見えないほどの土砂降りだったこともあった。この先、雅子さんの運命はどうなるんだろう、無理やり皇妃にされて、何かなあ、と私は思っていた。

 

今日は眞子さん佳子さんも平安絵巻さながらのいでたちをされていた。

いくら皇女様とはいえ、このような十二単を身にまとうことは、ほぼ初めてだったのではないだろうか。

それを機会に、2皇女とも、目が覚めてくれたらいい、と思った。

自分たちは、こんな古式ゆかしい衣装に身を包み、こんな儀式に臨み、日本の伝統を受け継ぐ身なのだ、と。

あんな貧乏人のぺーぺーのヒモ男になんぞ嫁ぐ身ではないこと。

人前でへそを出してダンスをするような身ではないこと。

天皇家は、神道のシャーマンなのだ。にもかかわらず、秋篠宮家は、娘二人をキリスト教系の大学に通わせた。

次々期天皇となる親王に至っては、かたくなに学習院に通わせることを避けておられる。

何なのだろう、このご夫婦の考えとしつけ方って。

 

もし令和が平成程度に続けば、次期天皇秋篠宮が即位されるときには、もう80歳を過ぎてしまう。次代は、非常に短命となるのだろうな。

それまでに、悠仁殿下に英才教育が十分おこなわれることを祈りたい。