30年という歳月をかける、ということ

沖縄の至宝であり、世界遺産でもある首里城が、火災で主要な建物が燃えてしまった。

こんなことがあっていいのだろうか。

首里城には行ったことがあるが、世界遺産だけに、隅々に消防装置が設置されていた。人気(ひとけ)のいなくなった深夜から出火した、というのが理解に苦しむ。火災の原因は、まだ調査が始まったばかりだ。本当に胸が痛む。

第二次世界大戦で焼失した首里城は、設計資料に乏しいうえ、戦前は写真も白黒だったため、建物や瓦の色もわからなかったという。米軍の反対もあって、戦後すぐの再建は不可能であったが、1989年から、30年もの歳月をかけ、今年やっと、すべての再建が完了したばかりであったという。関係者らは、支那にまで視察に出向き、当時の琉球の建築様式の参考になる部分を研究する等、大変な努力を重ねた。

 

30年、という年月。

産まれた赤ん坊が、赤ん坊を持つくらいの年月である。

その間、同じプロジェクトを遂行し続ける意欲と困難はいかばかりであったろう。途中、何度も挫折しかけたのではないだろうか。

 

30年といえば、先日、面白い話を聞いた。人から聞いた話のため、私は検証していないことをご念頭にお願いしたい。

 

話は、航空機の素材である。航空機は、燃料節約のため、強度さえ基準を満たすなら、機体は軽ければ軽いほど理想的である。機体の金属も、鉄からアルミに切り替えられても、それよりまだ軽い素材を、世界の企業たちは研究し続けた。

現在では、「炭素繊維」という材料が使われるようになった。一番そのもととなる素材を発明したのはアメリカ企業であったが、ご存知の通り、アメリカの企業は、株主様々の顔色をうかがう度合いが日本より格段に強く、従って、短期のうちに少しでも多く収益を挙げて株主に還元できる経営者が良い経営者と見なされている(それができないとクビになる)。せっかく発見した炭素繊維という素材を、長い時間と研究費をかけて製品に昇華させることは、アメリカ企業ではかなわなかったのである。そのため、アメリカでは、炭素繊維の研究はとん挫してしまった。

これに対し、日本の東レなどのメーカーは、その研究を継続することができた。アメリカ企業ほどでないにしろ、日本でもその間、社長はたびたび交代したであろうが、そうであっても、100%収益をもたらすか否か未知であった炭素繊維であっても、その研究は、代々の社長たちが申し送りをしてきたので、日本ではとん挫せずに済んだのである。その間、30年の歳月が流れた。30年の研究の結果、航空機などに使われる炭素繊維は、現在では、日本のメーカーらの得意とする分野になった。

 

日本の企業とは、なんと素晴らしいのであろう。今季来季の収益に直結するわけではない研究を、暖かい目で見守り続ける文化がある。

こういう土壌があるからこそ、科学系のノーベル賞受賞者が、企業人にも出現するのだろう。