とある精神科医の書いた本を読んだ。
その中にあったびっくりエピソード。
昔から、よく食べることで知られていた男性(60歳)が、この精神科医に、
「俺あんまり食べられなくなってきた、年かなあ」
と、打ち明けてきた、という。私は、
「60歳なら、お茶碗1杯もやっと、になってきたのかな」
と思ったが、その人は
「茶碗3杯かなあ。若いころは丼3杯はいけたのに、食えなくなった。俺、病気かな」
と訴えたそうなので、のけぞりそうになってしまった。
60歳にもなって、茶碗3杯は食いすぎだとわからないなんて、それも、若いころの丼3杯と比べて悩むなんて。
世の中、って、いろんな悩みをいだく人がいるものだ。はあ~。
ちなみに、その精神科医は、「それでも食べすぎ。もっと減らしていい」と助言したそうである。当たり前だ。
私は、花粉症と不眠症には縁がない。後者については、ただラッキーで、もしかしたら来年から急にかかるかもしれないので、毎年毎年、幸運を楽しんでいる。
前者の不眠症については、正直、「うさんくさい」と思っている。と言うのも、人間、どうしても眠る必要があるなら、立ってでも、歩きながらでも眠るからだ。生きているということは、つまり、睡眠が足りているのに、不眠症を訴える人は、自分が眠っているということが認識できないか、あるいは、なんらかの原因や深層心理があって、認めたくないということなんだと思う。
この精神科医のもとに、
「何日も眠っていない。このままでは死んでしまう」
と必死になって訴える患者が来たので、その夜その患者を入院させ、脳波計をつけさせ一晩様子を見ていると、熟睡していた。
しかし、そのことを患者に伝えると、
「ウソだ!僕は昨夜も一睡もできなかったんですよ!」
と、食って掛かってきたという。
なるほどね。
これと似たような話は、ほかにも読んだことがある。ある不眠症患者と旅行に出て、同室で眠った人がいた。しかし、その人は、その晩、ほとんど眠れなかったという。なぜかというと、その不眠症男のいびきがあまりにうるさかったからだ。しかし、その大いびき男は、
「昨夜もまた一睡もできなかった」
とこぼしていたという。
不眠を訴える人たちって、なんで、眠っているのを素直に認められないのだろう?
私など、起きていようと思っても、横たわると、ものの数秒で寝てしまうので、旦那にあきれられているほどだが、万が一、不眠を訴えるようになったら、ネットをみたり、本を読んだり、録画した番組やDVDを見たりして、楽しく時間をつぶすことを考えるんだがなあ。