シリアス、コメディー、志村さん、生きているうちに

つくづく、アメリカ人には困ったものである。

21世紀になっても、地球上で唯一、セ氏やメートル法にみじんも興味を示さない国なので、体温を測らせても、「36.5度」というのがどのくらいだか把握できないのある。彼らのメートル法無関心については、Yahooブログ時代からたびたび書いてきたけれど、最近では弊ブログ「やっぱりアメリカ人は、アメリカ以外興味がない」をご参照あれ。

 

 

話変わって。

1985年9月に終了した「8時だヨ!全員集合」は、おばけ番組だった。70年代のピーク時、視聴率は50%くらいあって、これを見ていないと、学校で友達との会話についていけなかった。

しかし、案の定、お硬いPTAからは、いつも「ワースト番組」「子供に見せたくない番組」に指定されていたように思う。

私が嫌いだったのは、食べ物を投げ合ったり、捨てたりと、食べ物を粗末にするシーンだった。あれはよくなかった。

 

ともあれ、いかりやさんは、ドタバタのギャグから、俳優に転身した。転身後の、時代劇から現代劇、刑事ものと幅広い活躍ぶりについては言うまでもない。私も、俳優として、そしてベース奏者としてのいかりやさんが大好きだった。

 

NHKが「となりのシムラ」という番組を過去に作っていたのは知らなかったので、録画しておいて観た。やはり彼も、いかりやさん同様、ドリフで鍛えられた俳優であった。

これは、中村メイコさんがおっしゃっていたことだが、

「人を泣かせるより、笑わせる方がずっとむずかしい」

と。本当にそうだと思う。しかし、世の中ではシリアスものに比べ、コメディーの地位は不当に低い。かつて、ロビン・ウイリアムスという名優がいたが、長い間、コメディーをやっていた間は大きな賞に縁がなかった。シリアスものをやるようになってから、急にアカデミー賞からお呼びがかかるようになった。

 

シリアス>>>>>>コメディー

 

この不等式は、もっと見直されても良いのではないだろうか。人を笑わせるのは、大変なことだ。

ドリフのドタバタだって、毎週長時間におよぶ綿密な会議の上に生まれたものだったし。

 

テレビ各局は、いま、ロケにも行けない時期になっているので、ちょうど、過去の志村さん出演の過去を振り返る番組編集に没頭できるはずだ。日テレではすでに放送し、また、志村さんの出演が少なかったNHKですら放送し始めている。一番多い録画を持っているはずのTBSは、これからどうするんだろう。

 

Yahooブログの時にも書いたんだけど、

「良いことは、生きているうちに、直接、その人に言おうよ」

と、改めて思う。志村さんの死が全くの想定外であったことはやむを得ないが、たとえば、今書店にならぶ、樹木希林さん関連の著作を見ると、

「死んでから、希林さんのこの言葉がよかった、あれがよかった、なんてほめても遅いんだよなあ」

と思う。希林さんは、生前「変人」と思われていた節もあったので、死んでからこんなに生前の言葉をもてはやす関連著作が出版されるとは、出版社が何かで儲けなければならないのは山々であるにしても、予想外であった。

 

いかりやさんも亡くなり、そして、志村さんも亡くなったけれど、彼らがいくら人を笑わせ、良い演技をしても、国民栄誉賞には届かない。

いかりやさんは、シリアスな演技に転身してから、アカデミー助演男優賞を受賞した。が、コメディアンとしてではないのは言うまでもない。

今日言いたかったのは、

「死んでから人をいろいろほめても遅い」(家族、友人を含む)

と、

「コメディーの地位をもっと見直してもいいのではないか」

ということ。

極悪番組の烙印を押し、ドリフのメンバーを見下げていた、かつてのPTAの方々も、いまはひるがえって、志村さんの死を悲しんでいるのだろうか。