両親の結婚記念日

5月4日。亡き両親の結婚記念日である。

 

結婚写真を見ると、私からしたら「子供」の年にあたる若さだけど、両親だというバイアスがかかっているせいか、どうもあまり若さを感じない。

式と言っても、ばあさん(父の狂母)の家で、親戚数人とだけで挙げている。なぜか、母の母は来ていない。

父は、借り物の紋付が丈に合わなくて、腕が半分くらいむき出ている。母は、いかにも「秋田から昨日出てきました」という田舎娘丸出しの顔で写っている。

 

狂母に産み捨てにされ、父親の顔を知らず、狂母の里の新潟で、叔父叔母らを「きょうだい」だと思い込んで育った父と、秋田の田舎で売れ残っていた母。こんな二人が、間に立つ人がいたおかげで結婚に至った。父は、貧乏、母一人子一人、学歴なし、母も、貧乏、母一人姉妹多数、学歴なし、と共通点が多かったのに加え、父には狂母がおり、母は「なんとかして秋田を出たい」という願望があった。

だから、率直に言えば、相手がどういう人物か、は、二の次三の次だったのである。父はこんなクソ姑のいる家へ来てくれる嫁、母は暖かい土地が必要だったからだ。

昔は、結婚式場で初めて相手の顔を見る見合い結婚も多かったから、文通と写真だけで結婚に至った両親は、まだマシだったのだろうか。

 

それでも縁があって、50年を連れ添った。

クソ頑固で意固地で、思い込みの激しかった父。クソ根性だけはあったから、新潟弁丸出しの営業でも、なんとか売り上げを挙げて、一家と狂母を養った。母は典型的な昭和の主婦で、料理裁縫など家事は万端。

数年に一回の転勤で、見知らぬ土地に飛ばされた父に、よくついて支えたようだ。会社の人たちは、父は、奥さん(母)で持っている、と噂していた。

 

そして、私が高校生のころから、徐々に父の性格の異常さも感じるようになり、まともな話し合いができなくなってきた。

一度「カラスは白い」と言い出したら、何百羽のカラスを見せても「白い」と言い続けるような性格の父だった。一度そうだと信じ込んだことは、誰がどう説明しようと、絶対に耳を貸さない人だった。理論や説明より「思い込み」と「クソ意地」だけがスタンダードだった。

 

電電公社が民営化し、それと同時に、第二電電が数社発足したころのこと。父にとっては、「ああいうのは、うんといけない企業だ」ということだった。理由は不明だ。また、各家電メーカーが、民営化に合わせ、様々な電話機を開発し発売し始めた。それまで、電電公社のどっしりとした電話機以外知らなかった身としては、好きな電話機が自由に買えるようになっただけで、衝撃だった(古いね~~)。

しかし、父にとっては、そういう家電メーカーもまた、「うんと悪いもの」だった。そのくせ、父は、NTT以外の会社製のコードレスホンが大好きで、晩飯のあと、酔っぱらっては、寝っ転がりながらあちこちへ電話をするのが癖であった。

母も、その姿を見て、とりあえず「電電公社以外のメーカーは、うんと悪い」持論は、矛盾してはいながらも、当時NTTではコードレスを売っていなかったこともあり、おさまった、と思っていた。

そうしたら、ある日、そのコードレスホンの子機が使えなくなった。バッテリーが壊れたのだ。母はヨドバシカメラに持って行ってバッテリーを入れ替えてもらった。そのことを母は父に話し、交換料として2,000円払った、と言ったら、父は赤鬼になって激怒した。

「うんと悪いもの」

に、2,000円を払ってしまったことで、これまで抑えていた思いが暴発したらしい。

そういう「うんと悪い」電話機を、電電公社もといNTT製のものに買い替えなければ、と、父は息巻いて、横浜西口のNTTにダッシュして行ったら、窓口の人に、

「うちじゃあ、もうとっくに電話機なんて作っていませんよ。ヨドバシカメラにでも行ってください」

と言われ、父はぎゃふんとなった。

 

父はまた、「料金の口座自動引き落とし」というものも、死ぬほど嫌った。これも「うんといけないもの」であった。

「俺は、営業をやっていたからわかるんだ。料金は、一軒一軒頭を下げて、回収してまわらといけないんだ」

などと言い張る。

「そんなことしていたら、料金の回収に人件費がかかってしょうがないじゃん。それが料金に上乗せされたら料金が高くなるんだよ。それに、回収に当たる人たちだって、現金を盗まれたり襲われたり、身の危険が生じるんだよ。引落しなら安価、安全に支払えるじゃない」

などと言っても、「そういうのは、うんといけない考え」で、赤鬼のように怒りながら、酒をかっ食らい、狂人のようになった。一度言い出したら「カラスは白い」の人だから、私がどんなに泣き叫ぼうと、何を言っても無駄だった。

 

こんなオヤジに50年も母が連れ添っていたのは、ただただ昔の女性だったから、一人で働いて食うという選択肢が人生になかったためである。父の偏屈さは枚挙にいとまがないし、そのせいで日夜夫婦喧嘩が絶えず、母は若いころ何ともなかった血圧が徐々に高くなり、降圧剤が欠かせなくなった。父が死んだら治った。

 

晩年の父は、不幸が重なり、ボケが進行し、パコチンコに膨大な金を注ぎ始めた。

止めても聞かない人だったから、癌で倒れていなかったら、実家の貯金は空っぽになっていたに違いない。

妻には恵まれただろうが、父親にも母親にも、子供にも恵まれない父だった。そして私はいまでもこの父が大嫌いである。私が子供を産まかったのは、この父と狂母の血筋を断つためである。

 

いまは、女性でも、結婚しなくても生きて行けるようになった。母が今の時代の人だったら、どんな人生を送ったであろう。