憲法記念日について

もう1週間前のことになってしまったが、憲法記念日の意味について、ちょっと考えた。

「ただのGWの1日」

に埋もれてしまい、たいして意識もしていない人も多いだろうが、つくづくクソ憲法である。

こくごく強硬的に訳すと、国民の義務は3つだけ、国は国民のあまたの権利に責任を負う、それから、外敵が来ても丸腰で喜んで殺されましょう、と書いてある。

1字1句替えることすらままならぬ、アメリカ製の憲法を、73年間、後生大事に守っている。

日本同様の敗戦国、ドイツだって、戦後60回ほど改訂をしている。憲法など、所詮人間が書いた文章であるからして、時代の変化に応じて見直し、書き換えるべきなのに、改・・・・ と口にするだけで、特亜の味方である野党や朝日新聞などは発狂したように騒ぎ、「戦争憲法にするな」などとほざく。だったら、外敵が攻めてきたらどうするんだと野党に聞いても、具体策は全く出せないに違いない。彼らは「まずいことには黙る」だけである。そういえば昔、平和憲法バカの土井たか子なる人もいたなあ。

そんな、まともに軍隊すら正式に持てぬ、おろかな国をおちょくるかのように、支那は、毎日、尖閣諸島を領海侵犯している。支那人らのあざ笑いが聞こえるようだ。

 

調べてみたら、このクソ憲法の公布日は、昭和21年11月3日。「文化の日」などと称されているが、元は、明治天皇の御誕生日である。へえ。狙ってしたことなのかな。

そして施行日が昭和22年5月3日。

 

憲法を祝う祝日なんてほかの国々になんてないんじゃないか、と思ったが、びっくりしたことに、同様の日を持つ国はあまたあった

しかし、必ずしも祝日というわけではないようだ。

 

こんなクソ憲法、何がめでたい。何が「平和を愛する諸国民の公正と正義に信頼して」だ。諸国民が平和も愛さず、公正でも正義でもない現在のような状況においてどう対処すべきかなど、一言も定めていない。朝日新聞などはすぐ「話し合え」と言うが、こういうのを「話し合いバカ」と私は呼んでいる、特亜やロシアのように、話し合いのできる国なんかじゃない場合はどうしたらいいのかは一切書かない。

 

併せて、「独立(建国)記念日」についても調べてみた。

日本では、2月11日の建国記念日がそれにあたるし、アメリカではよく知られる通り7月4日である。

しばしば「4000年の歴史」などとうそぶかれる支那サマのそれは1949年10月1日、なんだたったの70年ちょっとか経ってないじゃん。おまけに、台湾より歴史が浅い。ひっひっひ。

韓国においては、神話ではあっても、紀元前2333年の10月3日という、あまりにもあり得ない日と、それから、ご存知の通り、日本が降伏した1945年8月15日をその日と定めているが、彼らが日本に戦勝したわけなどではない。

このWikiのサイトを見て、つくづく思うのは、他の国々の場合、宗主国から独立を果たした日や、ソ連の崩壊の日、王政から民主制に移行した日などを独立記念日と定めているケースが多いのだが、多分に「日本より古い日」を悔し紛れに持ってきたに過ぎないであろう韓国を除き、我が日本の建国の日の古さは、きわだっている。

 

ここで、改めて悟った。つまり、日本とは、少なくとも、2680年もの間、日本国ではなかったことが1日もない、という稀有な国で、わざわざ「我が国は独立しました」と、宣言する必要が歴史上皆無だった、という事実だ。背中がざわ~~っとした。1945年9月2日に、ミズーリ号上で降伏の調印をしたが、これとても、別に、日本で無くなった国が日本に再生されたわけでもない。

 

で、思ったのだけど、憲法記念日とは、日本では、ある意味、近代の独立記念日の代わりなのだろうな、ということ。

 

安倍総理は、亡きお父様の悲願でもあっただろうけど、安倍内閣の間に、憲法改正を強く望んでいる。が、支那発の武漢ウイルスのせいで、今はそれも目途が立たなくなっている。悲しいばかりだ。

 

 

 

今日は母の日。仏壇の母へ、