時代だなあ 「傘専門店」と「写真断捨離」

長年使っていた傘の骨が曲がってしまった。

ちょっと昔だったら「修理」に出していたところだけど、いまどきそんな人はまれ。修理するより、買い直した方が安くて速い時代である。そもそも修理業者なんていなくなった。

 

思い出した。昭和の香りがただようアーケード街「六角橋商店街」にあった、おそらくは、横浜最後の傘専門店「マルコシ洋傘店」のことを。ちょうど2年前、Yahooブログ時代、「要らない傘をあえて買ってしまった」というネタで取り上げた。

高齢のご夫婦が経営しており、傘の修理もご主人が引き受けていた。根強いファンがいたのだ。

 

 

思い出して、行ってみたら、開いていた。ますます老いたおかみさんだけがちょこんと店番をしていた。ご主人は、と聞いたら、やはり亡くなったとのこと。

もう、新しい仕入れもしないみたいで、いまの商品がはけたら閉店するみたいな感じだった。2年前に「今年いっぱいで閉めようかしら」と言っていたけど、まだ続けているのは、立派である。

残り少ない品を見ていたら、高い物=国産品、と、安い物=支那製品、に真っ二つ。1本1万円近くする国産品を手にとると、「それは良い物ですよ。絹です」とか言われたけど、残念ながらあまり気に入らなかった。

しかし、いくら国産品とはいえ、支那産とのここまでの価格のかい離は何なのだろう。

私が傘を見ていたら、別のお客さんが入ってきて、雨合羽を買い求めた。コロナの今、雨合羽は、別の目的で使われたりしている。

 

 

実家の写真の断捨離に手を付け始めた。

昔の写真って、見ていると笑ってしまうなあ。このころは「画素数」なんて概念もなかったに違いない。搾りも何も、全部自分でしなければならなかった。

今の時代なら即刻削除してしまうような不出来さであっても、1枚いくらで写真屋さんに現像してもらうので(現像してもらわないと出来がわからない)、捨てるのがしのびなく、大切に貼ってある。あと、遠くから撮っているので人物が豆粒のようにしか写っていないのとか、暗いのとか、指先が写っているのとか、超ピンボケとか。誰でもきれいな写真が取れるようになった現代とは、隔世の感がある。

そもそも昔は、一家にカメラが1台しかなく、箪笥の奥に大切に入れてあって、運動会や旅行でもないと、あまり使わなかった。カメラやフィルムは特別な品物だったのだ。

そもそも、今の時代、「紙のアルバム」なんて持っていない家庭が多いだろう。

 

父が現役の会社員だったころの写真も沢山残っている。私より若いんだから。

私が子供のころ、父が時々、会社の社員旅行で、台湾や韓国などの海外旅行に行くのを知っていた。当時は海外旅行が一般的でなかったので、父はすごいなあ、と思っていた。当時、社員旅行に行けるのは男性社員だけで、女性は参加できなかった。しかも、その旅行目的も、あとになって知った。

そんな旅行を堂々として、社費が払われていた時代である。

こっちも、隔世の感がある。