最初に言い出した人は笑われる

武漢ウイルス感染のいま、インフルエンザ流行時のように、手洗いが推奨されている。

日本人はもともと世界一清潔好きだし、清潔な水がいつでも潤沢にあるおかげで、手洗いは実行できている。

 

しかし、この手洗い、衛生の基本としてはさほど歴史が長くないことを、最近読んだ本でたまたま知った。

まだ細菌に関する知識が無かった19世紀のなかば、ウイーンの産院のこと。当時の妊婦たちは、「産院で出産するくらいなら、道端で出産する方がまだマシ」と思っていた。というのも、当時は、実際、産院で出産すると、10人に1人(←産婦か赤ん坊かいずれなのかの記載がなかったのだが)の割合で死亡していたからだそうなのだ。

そこで、センメルヴェイスという名の産科医師が、

「分娩を取り扱う前には、手を洗おう」

と提案したのである。他の産科医たちは、「そんなバカな」と失笑し、彼の言うことを相手にしなかった。そして、相変わらず汚れた手のままで分娩を扱い続け、相変わらず多数の死者を出し続けた。

しかし、センメルベヴェイスは、笑われても、ずっと手を洗い続けた。その結果、他の医師たちも彼を真似し始め、最終的に、この産院での死亡者数は激減した、というのである。

 

そういえば、コロンブスも、少年時代、海の向こうから来る船のマストが徐々に見えてくるのに注目し、

「海は丸い」

と考えたら、周囲の大人たちに「坊主、何言ってるんだ」とバカにされた。

メンデルも、修道院の庭にエンドウマメを撒いて研究した遺伝の法則は、生前に発表しても一笑に付されてしまい、その理論が正しいことが認められたのは、彼の死後であった。

 

ショーペンハウエルは、

「すべての真実は、3つの段階を経る」

といい、以下のとおり分類した。

「第一段階:一笑に付される」

「第二段階:激しい反対にあう」

「第三段階:自明の理として受け入れられる」

 

我々も、「そんなバカな」と頭から否定せず、人の新説にはちょっと耳をかたむけてやる心のゆとりは必要だなあ、と思った。今日この世に存在するもののうち、かなりの多くは、自分を信じて「そんなバカな」を突き破ってかなえたものだろう。