母の死から、今日で1年。
1年前の未明、老人ホームにいた母は、「苦しい」と夜勤の介護士さんに言ったそうだ。介護士さんは、母が鼻から入れていた酸素濃度を上げて、しばらく経って様子を見に行ったら、事切れていた、とのことだった。
これが強欲な人とか訴訟大国のアメリカだったら、
「老人ホームが適切な措置を怠ったせいで死んだ」
とか訴訟を起こしそうだな。冗談じゃない。もう十分生き、寿命が尽きて死んだのだ。看取ってくれたホームには、いくら感謝してもしたりない。
母がまだ元気だった頃の話。
狂人と紙一重の人格異常者だった父の母を、両親は仕方なく引き取った。誰とも絶対折り合わない祖母は、それまで東京の下町で一人暮らしをしていた。ただの田舎者の乞食ばあさんだったくせに、何もかも自分が一番にされていないと気が済まない、どうしようもない性格であった。
「おまえらの世話になんかならん」
と、常々うちの両親に言い放っていたくせに、さすが90歳も近くなると、それができなくなり、父に引き取られた。祖母は父を産み捨てにしたので、母子の心のつながりなど皆無な関係である。それでも戸籍上の親だから引き取った父は偉いと思う。
死ぬほど気丈だったのに、ボケが進む祖母に対し、母が、
「いやねえ、こんなにボケちゃうなんて」
と嫌みを言うと、
「いまに、あんただってこうなるよ」
と、噛みつくように反論した祖母。しかし母は、
「いいえ、私、そんなに長生きしないから」
と言い返した。若い頃、いびられっぱなしだったのに、年取ってからやっと言い返せるようになった母。
しかし、その母も、年老いるごとに、姑同様、どんどんボケた。
老人ホームには、4年余りお世話してもらった。
その中で、ぎょっとした出来事がある。
母は、時々補聴器を使っていた。補聴器のボタン電池は、市役所のゴミ収集では引き取ってくれない。ためておいて、電気店などで店員さんに渡すのである。
使い終わったボタン電池をためておいてもらうため、私は、下のようなガラス瓶を母の元に置いてきた。
元々、佃煮とか塩辛なんかが入っていたような小さなものである。
ある日、母のところに行ったら、母が、
「ほら」
と言って、そのびんを見せてくれた。しかし中には、ボタン電池でなく、こはく色の液体が詰まっていたのだ。
私は、仰天した。
母は、昔から、膀胱炎を患うことが非常に多かった。きっと、このびんを見たとき、ボケた頭で、「尿を取っておこう」と思ったらしい。
しかし、夜中、トイレにも行かず、部屋の中で、このびんの上にしゃがんで、尿を取ったらしい。
床に尿をこぼさなかったのであろうか。介護士さんにも何も言われなかったところを見ると、一人でうまくやったらしい。
本当にぶったまげた上、謎に満ちた事件でもあった。