さらに実家の断捨離

両親とも死に、昭和はどんどん遠ざかる。

 

友人たちに聞くと、「母親が茶碗蒸しを作るのが得意だった」という話を聞く。我が母も得意で、お客様があると、よく作って出した。目分量なのに、出汁と卵の量はピタ-っと決まって、昭和の主婦のすごさを感じる料理だった。

しかし、私の周囲の女友達(ずっと仕事をしてきたシングルかバツイチ)で、茶碗蒸しを自分で作る人なんて、皆無。私も自分から作ろうなんて思ったことはない。私らの世代は、そもそも、家に客なんて呼ばない。

 

 

そんなわけで、この30c四方の大きい蒸し器は、断捨離することにした。

以前私もトウモロコシを蒸すときにはこれを使っていたが、最近、トウモロコシはもっぱらレンチンだ。トウモロコシ農家さんもレンチンが一番うまいとおっしゃるので、決断した。茶碗蒸しの器は、とうの昔に処分してしまった。

お赤飯も得意で、これを使って作るお赤飯も天下一品だった母。その母が愛用していた蒸し器。ごめん。

 

あと、おひつ。

 

 

これも、ご飯を炊いて入れておくと、ご飯の水分がほどよく吸収されて、良いものだった。

しかし、今はこんなのに入れるほどご飯を炊かない。

これも、ごめんね。

 

 

それから、下↓の赤い固定電話。15年前くらいに買ったものだ。

 

Yahooブログの時にも再々書いたが、うちの父は超人的な偏屈、頑固、へそまがりだった。

電話機に関しての思い込みのひどさも、半端ではなかった。

電電公社が民営化され、競合する「第二電電」が数社でき、また、電電公社でしか作っていなかった電話機も、いろんな家電メーカーから多数販売されるようになったころを、父は生で見ていた。

しかし、父は、電電公社ではない会社は、なぜか「うんと、いけないもの」だった。そのくせ、酔っ払うと、あちこちに電話をかけたくなり、母が買ってきたどこかのメーカーのコードレス電話機を手にし、寝っ転がってあちこちにかけまくっていた。NTTではコードレス電話なんて作っていなかったが、自分が好きなものなら、適当に目こぼしするらしかった。

しかし、電話機の電池が低下し、通話ができなくなってきたので、母が電池を交換してもらいにヨドバシに持っていくと、父は、

「うんといけないものに電池代2000円も払ったのかっ!」

と、赤鬼のように激怒し、電話機は電電公社のでなければいかん、と、NTTまで電話機を買いに行ったのである。そうしたら、

「当社はもう電話機なんて作っていませんよ。ヨドバシカメラビックカメラに行って買ってください」

と言われ、父はぎゃふんとなった。家族の言うことには絶対に耳を傾けない父だったが、NTTの人の言うことだと、やっと聞き入れた。

それまでも、あまりに電電公社の機械にこだわるので、私がわざわざネットで、昔ながらの黒の固定電話を落札し、父に「これ使ったら」と渡したこともあったが、コードレスでないことと、家の回線をダイヤル式に切り替えなければならないこと等で、抵抗し、ついぞ使わなかった。

 

そのうち、体が弱ってきた父は、自分の部屋の近くにも電話が1台欲しい、と言い出した。

なので、それまで使っていたのと同型色違い(つまり、↓)コードレス電話機を買ってきて、回線につないだ。

しかし、同じ電話機を2台つなぐと、電話の鳴る音が非常にうるさいことを知った。

 

なので、仕方ないから、もっとシンプルな電話機を買ってきて、つないでやったけど、父はほとんど使わないで死んだ。

 

区役所に、小型家電のリサイクルボックスがある。先日、その、父が使わなかった電話機を捨ててきた。

 

 

15,000円以上払ったのに、全然使わず、見た目は新品同様。今かろうじて維持している固定電話と交換しようかと思って、

 

 

こんなふうに、新しい二カド電池と取り替え、1晩充電したが、接触不良で使えない状態だった。

ニカド電池は、今の固定電話に入れ、この赤い固定電話は、断捨離した、というわけ。

 

無学な父の思い込みのせいで、母も私も、電話機には、どれほど振り回され、どれほど無駄なカネを使わされただろう。思い出しても腹が立つ。

 

未使用で捨てた電話機。悲しい。

断捨離するもので、思い入れや思い出のあるものは、こうやってアップし、成仏を祈ってしまう。