ボケてからでは遅いと思った話

まだ母が存命だったとき、母を預かってもらっていたグループホーム(母以外に5名居住)に、いつもニコニコしているおばあさんがいた。もう、顔いっぱいが口、というかんじで、誰に対しても満面の笑みを浮かべていた。ほかのおばあさんたちはそんなではなく、しょぼんとしていたり、何かとキレたり、悠然と座っていたり、と、各人によって個性がまちまちだった。キレがちなおばあさんは、レビー小体型認知症だと教えてもらった。

ともあれ、そのニコニコおばあさん、ものは話せないみたいだったけど、しょんぼり黙って座っているおばあさんより、よほど愛らしかった。私も、母に会いに行くたび、そのおばあさんに話しかけるのが楽しみだった。というか、むしろ、私のような愛想に欠ける人間でも、話しかけたくなってしまうのである。

 

私の両親は、人前でにこやかにすること、穏やかに話すこと、他人を敬うことの大切さなどを、ちっとも教えてくれなかった。私が笑顔を浮かべていると、

「なにニヤニヤしているの?」

などと怒られたものだ。それらは、私が社会人になってから、自力で必死に身につけた。笑顔について教えてもくれなかったけど、逆に、ぶすっとしていると「憎ったらしい顔だね」などとも言われた。

 

人間、他人とのふれあいは、ほんの一瞬で終わることも多い。だったら、単純なことだけど、ぶすっとしている人より、ニコニコしている人と接した方が、気持ち良い。あのおばあさんが、認知症になっても笑顔をたやさなかったのは、きっと、若い頃からそういうほがらかな性格であったのだろうと思う。

 

人間、ボケると、生来の地が出るようだ。

おそろしい。

ひどい男尊女卑オヤジが年取ったあと、老人ホームに入居しても、トラブルばかり起こすという話を聞いたことがある。ホームの主力はほとんど女性介護士である。だのに、若い頃からずっと女を馬鹿にしてきているから、女性介護士に暴言を吐いたり暴力を振るったりする。職員や家族の注意も一切聞かなくなる。

 

私は、だまされたつもりになって「運気を上げる方法」なんて本を数冊読んでみると、どの本でも絶対に書いてあるのは、

「ありがとう、感謝します、とひんぱんに言う」

ということである。これは正直、だまされたつもり、ではないな、と思った。だから私は、レジの人にも必ずありがとうを言う。ありがとう、を沢山言うようになって気づくのは、相手も悪い気はしないだろうけど、こちらのハートもほっこりすることである。また、こちらからにこやかに接すると、相手も喜んで、私にあれこれとものを教えてくれたり、意外なものをプレゼントしてくれたりもする効果もあることを知った。

 

年取ってボケたら地が出る、という話に戻ると、この前の記事で書いたようなセクハラおやじは、いまは時代の要請で自制していても、ボケたらコントロールを失い、女性介護士にセクハラ全開になりそうだ。

人間の根は、おいそれとは変わらない。

やっぱり、人間、まだ若いうちから性格を改めていかねばね。