あれから10年

私は過去にいくつか大地震に遭遇してきたけれど、家族や親族が死んだり、家が破壊されたり、ましてや、津波にのみ込まれたりなどの経験まではない。

 

 

大川小学校の件で、犠牲になった23人の児童の遺族が、学校に対し「震災前の防災体制に不備があった」として訴えた訴訟は、最高裁で、原告らの訴えを認め、学校側に過失を認定して結審した。23億円の賠償請求額は14億円余りに減額されたそうだけど、あんな未曾有の大震災を前提として、どこまで完璧に、しかも、公立小学校だから税金を使って、震災に備えろと言うのか、疑問である。

児童の父母たちは、怒りや悲しみのやり場がないのかもしれないが、すべては事後の「結果論」である、「あの時ああしてくれていたら」「あのときああしていなかったから」を、安全になった事後にあれこれ審議するというのが、私はどうしても釈然としない。

仮に、震災前に、校長が、

「この地域は、ハザードマップでは津波の浸水対象地域外だけど、津波被害を予見したので、防災措置を施します」

などと言ったら、

「対象地域外なのに、無駄な税金を使うな」

「何を根拠に」

「校長の独断だ」

等と言って、納税者や保護者らは、絶対に反対しなかったと断言できるのか。

校長という職は、そこまで未曾有の震災の発生を予期する能力があると思っているのか。

ほんと、釈然としない訴訟だ。

 

私は地震学は全くわからないけど、「地震予知なんて不可能だ」とおっしゃる、ロバート・ゲラ-教授に賛同している。

そこへ、昨日、地震学の専門家でなく、測量学の専門家の村井教授という人が,測量学の立場から「東日本大震災を予知していた」と、名乗りでた。

 

 

 

う~ん、どうしてこういう人って、あとになってから「予知していた」と名乗り出るのかな。予知だったら、起こるずっと前にいってもらいたいのだが。

今回のご講釈は「3月下旬ころまで最大限の注意が必要」だそうだけど、だから何だと?

はずれたら「5月末まで」とかおっしゃるのかなあ。

そもそも「地震」にどう「注意」をしたらいいのか、わからない。

水や食糧を備蓄し、家族の連絡先や、集まる場所などを決めておくとか、避難場所まで歩いて行ってみる、とか、そういうこと以外に、どういうのが「注意」なのだろう。

でも、学問は自由だから、地震研究者らが予知を放棄して「発生確率は●%」でごまかしている限り、測量学者であっても、気象学者であっても、ナマズ研究者でも、研究は継続していただきたい。