年号は日本文化だけど、困る

私が「出る出る詐欺」と呼んでいた某横綱が、やっと引退なさるそうだ。

横綱になっての休場日数は歴代1位だとか。なんと不名誉な。そんな記録を更新する前に、弱くなってきたらすっぱり辞める、これが日本の国技の頂点たる横綱の美学であるはずなのだけど。

もっとも、彼ら2名に引導を渡すくらい強い日本人の若手が育たないのが一番悪いのだろう。

ただでさえ少子化なのに、豊かで文化的な生活に慣れてしまっている日本人の若者がああいう世界に飛び込む、って、なかなかにして難しいことになってきた。だから、出稼ぎに来ているモンゴル勢が強い。

 

相撲も日本独特の文化だけれど、年号もまた日本独特の文化だ。

支那にも昔、年号はあったけど廃止した。それが、「令和」の年号決定に、初めて支那の古文書を参照しなかったことを、支那のメディアはむかつきながら報道していた。支那も内心、日本に年号が残っているのは結構ねたましいのだろう。

 

しかし・・・・

年号だけ、だと、やっぱり困る。

お役所の文書とか、銀行の送金依頼書などは、年を年号で書くのであるが、いちいち、

「今年は令和何年だっけ?」

と調べてしまう。今は3年だ、とわかっても、「年度」となると、まだこの3月31日まで「令和2年度」らしい。

 

運転免許の更新はいつだったっけ、と見ると、「平成33年XX月○○日まで有効」とあった、が、平成33年なんてない。

 

昭和62年生まれの女性が、平成28年と令和2年に子供を産んだ、とする。

それぞれ何歳違いなのか、ちっともわからない。