なぜ、目に入ってこないのだろうか?

先日、外を歩いていたら、若い兄ちゃんが二人立って、たばこを吸っていた。

吸い終わった吸い殻は、悪い予感通り、足下にポトッ。

以前から度々書いて申し訳ないんだけど、こういう兄ちゃんたちは、道の上に落としたら吸い殻は自然に消えて無くなると思っているのだろうか?

こういうバカどもを見掛けたら、後ろから蹴り飛ばしても良い、とか、ボコボコにしても罪に問われない、といった法律が欲しい。

 

さて、職場で疑問に思っているのだけど、ペットボトルの捨て方が、ちゃんと貼り紙に書いてあるのに、なぜか全然守られていないモノが数本いつもあるのだ。

「ペットボトルは、中を空にして、汚れていたらすすいで、ラベルとキャップは外してプラごみのケースに入れてください」

別に難しいことでもなんでもない。

それなのに、ペット捨て場には、キャップもラベルもついたまま捨てられているのが散見されるのだ。

素っ裸になったペットボトルが沢山捨てられているのが目に入らないわけじゃあなかろうに、素っ裸でないものを放り込むことに、なぜ疑問も違和感も感じないのだろうか?

不思議で仕方が無い。

それに、「プラゴミ」もそうだ。スナック菓子の包装とか、コンビニ弁当の容器とか、世の中「プラゴミ」だらけだが、これはどうも、普通ゴミと一緒に燃焼させると燃焼温度の違いから良くないらしいので、別々に収集されている地域が多いはずだ。表示に「プラ」と書いてあれば簡単に判別できるので、この分別もなんらむずかしいことではない。

しかし、これも、表示が貼ってあるにもかかわらず、普通ゴミの箱に沢山捨ててある。私は、自分の責任でもないのにイラついて、2,3つまんでプラゴミ入れに移動するけれど、どうして、こうも「状況が目に入ってこない」人たちが多いのだろう?

 

ちょっと男性に対するステレオタイプな見方になってしまって申し訳ない面があるが、ときどき、男性の家事寄与度を調査すると、「ゴミ出しはやっている」という回答があるけれど、聞けば、妻が、ただ出せば良いばかりに袋に入れて結んだものを、玄関からゴミ捨て場に水平移動させているだけの夫が多いらしい。

そんな程度では、ゴミ捨てとは呼ばない。

ゴミを分別し、まとめ、缶やビン、発泡スチロールトレイの中をすすぎ、ゴミ箱の中が汚れていたら洗い、生ゴミの水は極力搾り取り、ゴミ袋が足りなくなってきたら買い物メモにいれる。そして各ゴミの日に応じたゴミをまとめ、出す。ここまで全部やって、初めて「ゴミ出し」なのに。

 

言ったら悪いけど、こんなふうに分別のできない、しなくて平気な人は、小さい頃から全部、母や、結婚後は妻がしてくれるので、ちゃんとしたゴミの出し方を知らない男性じゃあないのかなあ。日本女性で、ゴミ出しのいい加減な人は、ADHDでない限り見たことがないから。

ちなみに、ブラジル人を日本に移民させると大変らしい。あの国民は、可燃ゴミ不燃ゴミもビンも缶もなんでもかんでも一緒くたに出すらしいから。ああ、民度の違う移民はアブナイ。

 

追伸

 

 

全然違う話だけど、「Yokohama」と、アルファベットだけ書いてあれば、何人でも十分ぢゃない?

これもムカつく。