手紙、なるものを書いた

数日前、手紙、なるものを書いた。

 

宛先は、日本列島の最果てにあるお寺。前にも1,2度書き、そのたびに私は文末に「私のメールアドレスはxxx@xxxです」と書き添えているのに、一向にメールで返信は来ず、毎回、手紙で返事が来る。しかし、この女性住職さんの字、縦書きの超美文字なので、手紙としていただく楽しみはあるにはある。とはいえ、私は美文字じゃないから、彼女に書くのは多少気恥ずかしい。

 

まずは、Wordで文案を書く。そのまんまプリントして送ってしまうのも手だけど、それじゃあ味気ないから、ごそごそと便せんを引っ張り出し、手で書く。書いているうちに、内容は多少変わってしまう。横書きの便せんを使っているけど、

「漢字って、つくづく、縦に書く文字なんだなあ」

と痛感する。私は縦書きなんてほぼできない。

書いても、すぐには出さない。どんな文書も1日は寝かせるからだ。翌日読み返して、また修正を加えたくなる。.従って、まだ出さずにいる。手紙の修正なんて、考えるだけでうんざりする。

 

ネットが普及する前は、どうして、ビジネスでも「手紙」でやれていたのだろう?

一般家庭は、まず、手紙を書き、送って、相手が読んで、返事が来る。となると、下手したら1か月くらいかかったりした。今と違って電話代がひどく高かったし、一家に黒電話1台しかなかったので、遠方の人にはどうしても手紙を送るのだった。

 

亡母は、「字ノイローゼ」だった。「私は学校に行っていないから字が下手だ」というのがその頑固な論拠だったのだが、東大出の兄がゴミみたいなクソ字を書いていたのを見てわかるでしょ、学歴と字は関係ないよ、と何遍言っても聞き入れなかった。

亡母は、もちろん、縦書きの便せんと、縦長の封筒を使っていた。便せんも封筒も、何度も書き直すので、山ほど買っていた。

1通の手紙を出すだけで、もう、身を削るようだった。書き直し、書き直し、切り取り、ズタズタに削り、結果、便せん1部をほとんど使い果たし、へとへとになってやっと書き上げていた。「学校に行っていないから字が下手だ」と主張するほど悪筆ではなかったが、誤字は確かに多かった。

私が離れて住んでいた頃、時々母から手紙が来たが、そうやってズタズタに削り、切り取った便せんの余った部分を寄せ集め、短冊の束のような手紙だったりした。

母が死んで、便せんと封筒が多数残された。全部、縦書きの便せん、縦長の封筒。

私は使えないから、全部古紙回収の日に出してしまった。

 

かつては文房具売り場の一角を大きく占めていた、便せんと封筒のコーナーも、どんどん縮小していくのだろうな。

たしなみは感じるけど、効率の悪い「手紙」。

 

でも、やはり、文字を美しく書く文化は残して欲しい。字がきれいだと、尊敬してしまう。

私も何度もペン習字に挑戦したが、習った直後はまあきれいなものの、しばらくすると元に戻ってしまう。