亡母は、
「何かあったら自分が悪いと思って謝りなさい」
と私をしつけた。今から思い返すと、どう考えても相手が悪かったこと、自分がもっと主張すれば勝てたこともあまたある。
思い返しても何にもならないのに、歯がみして悔しがってしまう。反撃する方法、喧嘩の仕方を身につけるチャンスがなかった。
もしかして、言い返さなかったこと、自分が負けておいたことで、結局プラスになっていたこともあったかもしれない。
しかし、それは誰にもわからない。起こった被害は把握できるけれど、起こらなかったことは把握できないからだ。
つくづく、親のしつけって子の運命を左右してしまう。
そんなわけで、遅まきながらだが、嫌われてもいいから言い返すオバサンになろうと心がけてしばらく経つ。
若者の言動にカチンと来るときなんかもそうだ。
レジで、
「袋はよろしかったですか?」
と、過去形で聞かれると、血がぐわーっとなる。なんで今、目の前に居るのに、過去形で聞くんだよ。
「袋はよろしいですか」「袋はお持ちですか」「袋をお付けしますか」
などと、現在形で聞く表現は多々あるの、少しは考えたらどうだ。
この前、電話が鳴ったので出てみたら、のっけから、
「○○さんの携帯でよろしかったでしょうか?」
と来た。私、カチン。
「お申し込みは、◎◎◎の方でよろしかったでしょうか?」
私、さらにカチン。我慢ができず、
「あのねえ、かったでしょうか、って、私、今、現在形で、あなたと話しているのに、なんで過去形で言うのよ。まるで5年前の話に聞こえるんだけど。日本語がおかしいわよ」
と反撃してやったら、
「あ、すみません。僕、日本語だめなもので」
って、あんた、日本人でしょう。
「申し込みの内容だって、◎◎◎でよろしいでしょうか、って、現在形で聞けばいいでしょう? しかも、方で、って何よ、方で、って」
と怒ってやったら、電話の向こうの若者はシュンとなってしまった。
「方でよろしかったでしょうか」
って、バイトの若者が割と使う気がする。これも、そのうち、丁寧語の一種として正しい用法として定着してしまうんだろうな。
今日はなんだか、梅雨入り前みたいな冴えない天気だった。