母が他界してちょうど2年。
丸2年は仏教のしきたりで「三回忌」と呼ぶそうだが、なんで丸2年で「三回忌」なのか、ネットで調べたから理由はわかるけど、そういう信心もなく、寺やお坊さんにお金をあげる気持ちもないので、ただお参りだけしてきた。
母が夢にも出て来ないのは、あの世で頑固おやじと仲良く遊んでいるからかなあ。
同じ霊園内にある元X-JapanのHideさんのお墓は、必ず見に行ってしまう。亡くなってから23年も経つのに、いつ来ても、山のような花だ。
どうでも良いことを、ふと、思った。
人間にとって「花」とは何なのだろう。
世界中どこにも、花屋があり、花農家がある。花を愛でる気持ちも共通だ。
結婚式その他、祝福の場にも飾る。しかし、悲しい葬儀の場や墓にも飾る。
家の中にも飾ったり、お別れの儀式や、男性が女性にプレゼントするのに使ったりする。
花は、改良の結果、今日では、例えばひとくちに「バラ」と言っても、数え切れないほどの品種が生み出されている。
日本では、華道という「道」にまで高められている。
花、というのは、植物の「生殖器」なのだろう。
花のない植物もあるだろうけど、我々が花屋や庭先で「これは花だ」と認識するものは、強い色彩があって人目をひく。
人間だけでなく、鳥や昆虫もひきつける。そして、ちゃっかり、彼らに種や花粉を運搬してもらったりする。
交通事故などで、不幸な亡くなり方をする人びとがいる。
ダイアナ元妃、とか、池袋の上級国民爺にはねられてしまった母子とか、ついおとといあたりも、千葉県八街市で、トラックの運転手(60)による飲酒運転があった。
そういう事故現場には、沢山の花がたむけられる、そのをたむけに行く人々の気持ちは痛いくらいわかるのだが、水を差すようなことを書いて申し訳ないけれど、それらは、公道で、数日の間に汚く枯れてしまう。
99.999%以上の人たちは、
「誰かがあとで片付けに来てくれる」
という前提で、たむけに来ている。
私はそれがどうも、ちょっと。
現場に戻って、しおれてしまった自分の花を回収に来る人なんて、聞いたことがない。
結局は、誰かが、ほぼ、税金で、処理してくれるわけだけど、後のこともすこし考えたらどうかな、なんて発想は、冷たいとかアタマおかしいとか批判されるかなあ。
私だったら、現場が近ければ現場にいき、遠ければ心の中から、祈るだけ祈る。
ケチなんじゃなくて、自分が処理できないものは置いておきたくないので。