野球評論家の大島さんが、ついに天国に旅立った。
4年も前に大腸癌と診断され、余命1年と言われたところ、4年まで伸ばされたそう。がんと付き合い、無理せず、亡くなる直前まで仕事も続けておられた。亡くなる前、「病に負けたのではなく、寿命が尽きたのだ」とおっしゃったそうだけど、いい言葉だと思う。享年70。
ところで、奥様が夫君に代わってブログを書かれたそうだけど、最後の署名が、
『大島康徳 内』
とあった。内、ねえ。もちろん日本語としても文法的にも全く間違っていない。夫に代わって夫の仕事関係者の葬儀に妻が出席した場合も、名簿に「●●太郎 内」と書く習慣になっている。
が、なんかなあ。
もう21世紀なのに。「妻」ではまずいのだろうか。
最初この「内」の意味新明解国語辞典で調べたが、思う意味が出ておらず、次いで、漢和辞典を引いたら、いくつか出ていた意味の中に、
「妻」
とあった。
だったら、もし夫が妻の代理でどこかに出席したら、
「●●花子 外」
と書くのか、というとそんなことはない。いま漢和辞典で調べたけど、「外」にはそんな意味はなかった。この場合は「夫」と書くのだろうか。妻の代理で夫が何かに出席すること自体、この21世紀になっても想定されていないのだろうか。
英語においても、たとえば外交官夫人など、特に妻自身に社会的の肩書きのない場合で名刺を作るときは、
「Mrs. William Smith」
のように、夫のフルネームにMrs.を付けると聞いたことがある。なんか、妻には固有名詞はないみたいだ。
「子女」という言葉がある。息子と娘という意味だが、「子」は息子で、「女」は娘だ。娘は「子」じゃないらしい。
「少年少女」という言葉もあるが、「少男少女」とは言わない。「少年」と言えば普通、男の子だけを指し、女の子は含まない。
それと違って、「老人」という言葉には、ほぼ、老女も含まれるが、「老女」という、女性の高齢者を指す言葉はあるのに、「老男」という、男性高齢者だけを指す言葉はない。
言葉は長年の歴史、伝統、文化に基づくものだから仕方ないといえば仕方ないものがあるけれど、こういう言葉を見るに付け、男が主で、女は男の添え物っぽい。こういう言葉は、徐々に新語に換えていってもいいのではないだろうか。