こうまでして五輪って開かねばならないの?

五輪は、ついに、首都圏の会場では「無観客」で行うことが決定された。

「断腸の思い」であり、この、武漢ウイルスまだ感染拡大中の折であるから、やむを得ないといえよう。

 

しっかし、無観客で、がらんとしている会場で、五輪という世界最大のスポーツの祭典を開く意味はあるのだろうか?

誰にも声援や拍手をもらえない選手たちのモチベーションも案じられる。

そして、開催国として、観客からのチケット収入が全く断たれてしまった。

五輪をあてこんで建設されたホテルたちも、無用の長物となってしまった。

 

五輪は、開催国の一念だけでは開催を取りやめることは出来ない、と聞いた。

五輪はあくまで、IOCという白人のヨーロッパ男性陣だけが開催・非開催権限を握っているのだ、と。

だから、IOCが「やれ」と言う限り、日本はやめることができず、やらざるを得ない。

 

1964年のときの、国民が一丸となって迎えた五輪とは、どえらい違いだ。

こうまでして、五輪って開かねばならないの?

考えてみたら、この五輪は、最初からケチのつきっぱなしだった。

まず、サノケンの暗い、あやしいロゴの盗作騒ぎ。ロゴは再募集しなければならなくなった。

それから、国立競技場の、高額すぎて建設不可能なデザイン。建築デザイナーは「Unbuilの女王」と呼ばれた女性建築家だったが、彼女も死んでしまった。それから練り直し、隈研吾さんのデザインに代わった。

 

入場料収入もなくなって、膨大な損失をどう補填するのだろう。

財務省も、新しい税金を考えているに違いない。

本当にやるのかどうか、いまだハラハラしている五輪なんて、見たくないよ。

 

しかし、最後に一言。

日本に落ち度はない。みんな、みんな、チャイナがウイルスをまき散らしたせいだからね!

可愛そうな日本よ。