8月とは

広島、長崎に原爆を落とされ、終戦(敗戦)を迎えた月、8月。

1月から12月まである中で、8月ほど意味深い月はほかにはないかも知れない。

本来だったら、靖国神社の前に一般参拝者があふれかえる日だけど、今日は未明からすさまじい雨であったから、おそらくそれほどまでに参拝者はなかったのではないか。

私も今年は参拝に行かず、NHKで放送されていた戦没者追悼式に合わせ、正午には1分間の黙祷をした。

令和になり、天皇皇后とも、戦争を知らない世代に代わった。願わくば、今後ともずっと戦争を知らない天皇皇后であればよい。

雅子さんのことはいまだ「小和田さん」と呼びたくなる私。天皇の妻だからといって、皇后です、という感触がいまだ持てない。

皇太子妃時代、あれほど皇室にいることがいやで、精神を病んでしまってから、回復したとは聞いていない。

この人に今後も心から皇后が務まるのだろうか、と思うが、私には計り知れない世界にお住まいなので、想像も及ばないけれど。

 

8月といえば、夏休みの時期でもある。

子供のころ、両親の田舎に連れて行かれた。

父の田舎は新潟。しかし、ブヨ(ブユ)に刺されまくった私は、全身腫れ上がり、毎回ひどい目に遭った。

ど田舎で、何一つ遊ぶ物もないのに、つまらなそうな顔をしていると、とりわけ母に怒られた。

母は見栄っ張りだったのだろう。

父はというと、自分の勝手知ったる田舎だから、自由に楽しげに行動していたけれど、自分の子供がどう思うかまで、想像しようとも思わなかったらしい。

 

母の田舎は秋田。おばたちやいとこたちの話す言葉がちっとも理解できなかった。

それなのに母ときたら、「なんでいとこなのに遊ばないのっ!」と怒った。母は秋田弁で育ったので、「言葉が通じない」ということが理解できなかったらしい。いとこだから遊ぶ、という法律があるわけでもあるまいに、母もやはり、子供の気持ちのわからない親であった。

おまけに、食べ物がまずいのには閉口した。

おばやいとこたちは、食うに耐えない古米や古古米を平気で食べていた。米の味とはそんなものだと思っていたらしい。いとこたちに連れられていった駄菓子やで買ったものはみな、人工香料や甘味料の塊だった。しかしいとこたちは美味しそうに食べている。私は「まずくても食べ物は残したらだめ」という躾を受けていたので、無理矢理飲み込んだが、その夜、私だけ腹痛で七転八倒した。

 

思えば、父や母は、逆に、自分の親族をよく家に招いたものだった。

我が家なんて、父の転勤で住んでいた極小スペースの社宅だったから、親戚なんかが来ると、もう、その人たちに一番広い6畳間は譲り、残ったスペースに家族4人がぎゅう詰めで寝ていた。とりわけ父は、本当によく人を呼んだ。親戚に限らず、突然客を連れてきては泊めさせることが多かったので、家族はてんてこ舞いをした。

ほんとイヤだった。

 

おかげさまで、今は、いとこなんてどこで何しているのかわからない。

アメリカにいる旦那の方の親族の方が私にはむしろ近しいくらいだ。

帰省する田舎もないってほんと楽。