英語民族にカチン

いつもこのことに腹を立てて、しょうがないと思いつつ、つい書いてしまう。

 

うちのアメリカ人旦那が「この記事面白いから読め」といって、ある新聞記事の抜粋を転送してきた。もちろん100%英語だ。

私は、前から何度もこの男に説明してきたのだけど、いつまでたっても英語の新聞記事を読むのが苦痛だ。日常会話に出てくる単語や文章ではなく、文体も違っているし、これだけ長年英語を学んでいる私であっても、何度も何度も辞書を引かないと、1つの記事を読み通せたためしがない。 

それに、前から度々書いているけど、英語のようにたった26個しかない(私に言わせりゃ、the same old 26 characters)文字の羅列を読み取るのに、大層な集中力を要する。アルファベットは表音文字(phonogram)だけど、漢字は表意文字(ideogram)なので、漢字だけささっと眺めれば結構意味が取れる。「Mountain」なんて8文字も使ったりしなくても、「山」という1文字で表せる表意文字の便利さよ。

しかし、この漢字がゆえに、欧米の人間たちには、日本語や支那語の学習は非常にハードルが高い、という話も前に書いた。

 

 

 

支那民族は、世界征服のために、世界のあちこちに支那語学校を建てているけど、漢字とあのフニャフニャした発音の支那語を広めるのは絶対不可能だと断言する。ドイツ人が英語を学んだり、フランス人がイタリア語を学ぶのとは条件が天と地ほど違う。

 

話を戻すと、旦那のいつもの態度にカチンと来た。

なんで、私は日本語の情報をあいつに渡すときには、みっちり訳したり、最低限のsummary(要約)は必ず付けるのに、あいつは、というか、アメリカ人全般そうだけど、相手が何人であっても、絶対に訳そうともせず、summaryすら付けずに平気でいられるのだろう。

「勉強になるでしょ」

と言われしまえばそれまでだけど、私が何遍も「新聞記事の文章は普通の会話英語と違うから苦痛」と訴えても、なぜだか分からない様子だ。

というか、英語を読むのが苦痛だという心理が理解できないらしい。

それに引き換え、日本語という特殊言語を話す日本人は、日本語のままでは外国に通じないということを、痛いほど悟っている。だから私のように当然に訳を添えたりするが、その逆の心遣いはない。

 

この前、テレビで、「日本のここがすごい」的な番組があり、これ系が好きな私は見ていた。

ピクトグラム」が開発されたのは、1964年の東京五輪のときだったという。

外国語が苦手な日本人でも、海外から来た人たちに、どういう競技、どういう場所だか説明せずともわかってもらえるように、という心から芽生えた、すばらしい発明だ。

このときのピクトグラムに感銘を受けた他の国々でも、五輪の際はその国独自にピクトグラムがデザインされたそうだ。

 

しかし、アメリカ人をはじめとした英語民族は、「外国語が苦手」なんてことをこれっぽちも考えずに生きている。

英語が母国語でない国に来ても、ペラペラ英語しか話さず、しまいにゃ「この国は英語が通じない」と文句言ったりする。

 

そして、その番組に出ていた、日本語の上手なアメリカ人の女の子に、司会者か誰かが、

アメリカではピクトグラムってないんですか?」

と質問した。そうしたらそのアメリカ人の女の子は、「ない」と答えた。

アメリカ人は、基本、英語が書いてあれば誰でも分かると思っているから」

だってさ。さすが、アメリカ人の自己中、無神経。