あらゆるものに、感謝したい

我が国の「9条信者」の方々は、「改憲」と聞いただけで発狂する。

うちの近所に、共産党の事務所が1つあるのだが、そこの出入り口に、9条だけ、大書して貼ってある。

彼らにとって、憲法とは、9条しか存在していないのだろうか。

この信者らは、9条さえ唱えていれば、戦争にもならず、外国から襲われないと思っているらしい。

もし、ウクライナに軍隊がなかったら、1日で国が消えていたかも知れないのに。丸腰で殺されるだけが正しく、自分や家族の命を守るために敵を殺しては正しくないのか? 9条信者らはおそらく、正確に答えられないだろう。9条信者らは、二言目には「話し合え」と言うが、プーチン金正恩と話し合いができる人がいるなら、お目にかかってみたい。そして9条信者らは、絶対そんな話し合いの場になんて臨まないのに。

9条への盲目的な信奉も、ほとんど「宗教」に近い。

 

平和で、食べ物があって、お風呂にはいって、あたたかい寝床で眠れる。

「あって当然」なことだと思い込み過ぎている我ら。

これがどんなに幸せなことか、失ってみないとわからない。

最近、ささいなことを含め、いろんなことに感謝する癖が付いた。

目が見える、殺されないで外を歩ける、食べられる、店で買い物ができる、人と話せる、電車が動く、電気が通っている、などなど、数え上げたらきりがない。

9条と引き換えにこれらを失ったって、9条信者らは、絶対に何も言わないだろうな。

 

ところで、最近、ぞっとするほど醜悪な話を聞いた。

最近、学校では、給食の前に、「いただきます」と言わせないところがある、というのだ。

理由は給食費を払っているから」だとさ。

こういうことが正しいと思っている馬鹿親どもは、金属バットでボコボコにしたい。

 

給食費を払っているから、だと?

野菜や肉、魚を生産してくれた人々、流通にかけてくれた人々、配達してくれた人々、給食を作ってくれた人々、給食費を払ってくれる父母、給食費を補填してくれる納税者、その他、見えないところでかかわってくれたみんなに感謝しようね、と教えるのが教育ではないのか。

それを否とする学校や保護者らは、みなさん、北朝鮮へでも移住してね。