旦那の(クズ)兄が死にそう

義兄、と書くべきなのかもしれないが、私より2周りくらい上の老人だし、最初に会ったときから私のことをずっと避けているのが露骨だったので、義兄だなんて思ったことがない。

とにかく、NYの老人ホームに住んでいた旦那の兄さん、ある日、心臓が止まってしまい、救急車で運ばれた。

今はただ、人工呼吸器を付けて横たわっているだけのようだが、医療費の高いアメリカのこと、医療費の支払いは大丈夫なのかな、と、この男の命より医療費の心配が先に立つ。

 

この兄さんは、クズもクズだった。

だから、この兄さんよりずっと年が離れて生まれた旦那は、家庭というものに、いい思い出が全然ない。

兄さんは、食べ物が少しでもまずいと、皿ごと壁に投げつける狂人だった。

何がきっかけで発狂するのかわからないから、家の中では、兄さんを刺激しないよう、家の中で一番広い居室を兄さんにあてがい、残り4人が小さい部屋にちぢこまり、ハラハラ暮らしていた。

ユダヤ系の一家だったのに、このクズ兄は、ユダヤ人が大嫌いだった。ユダヤ人を殺せ、殺せ、と叫んでいた。

あろうことか、しまいにゃ、ナチのグループに加わって、暴力活動をしていたのだ。

そんなあるとき、凶器準備集合罪か、暴動予備罪で、クズ仲間らとともにNY警察に逮捕されてしまった。

それが、新聞に大々的に報道されてしまったのだ。

「なんと、ユダヤ人のナチ発見! 『ユダヤ人を殺せ』と叫ぶユダヤ人!」

新聞に住所が出ていたせいか、はたまた、姓がわりと珍しかったこともあり、電話帳ですぐ見つかってしまったらしく、その日以降、父親のもとに、全米から批判の電話が殺到した。

父親は、大慌てで電話番号を変更した。

息子を腫れ物にさわるようにしていただけで、しつけ一つ出来ない父親だった。ユダヤ人の家庭は割と日本人と似ているところがあり、とにかく長男第一主義なのだが、父親は、このクズ長男を、ユダヤ教の坊さんである「rabbi」(日本語では「ラビ」と書くけど、英語では「ラバイ」と発音する)にしようと思っていたのだ。それが180度正反対の「ナチ」になるなんて、笑うしかない。

 

こんなクズの兄さんでも、裁判の途中で結婚した。

なぜか。

結婚が量刑にとって良い方に働くのは洋の東西を問わないが、相手のメアリーさん、そのとき、未婚で誰かの子を妊娠していたせいだ。当時は、今よりずっと性のモラルが厳しく、未婚で妊娠してしまうことは、犯罪に近いほどのことと思われていた。メアリーは、死ぬ思いで、父親候補をさがす必要があったのだ。

そんなわけで、結婚後すぐ、血のつながりのない子の親となった兄さん。

その後、唯一の実子、しかも、あんなクズ兄の娘とは思えないほど良い子のRitaをさずかった。

が、メアリーは、わりと若くして癌で亡くなってしまった。あんな兄さんと一緒にいたせいだ。

裁判の結果、実刑は免れたが、狂った性格を矯正するため、刑の代わりに、精神科医に定期的に通うことを義務づけられた兄さん。その後少しはましになった、かも。仕事は、叔父の一人に、製本工場を自営している人がいたので、その叔父に雇ってもらっていた。よそでは、まともに就職なんかできなかっただろう。

 

そろそろ、兄さんの葬式だ。

しかし、旦那はもちろん、東海岸に住んでいる姉さんも、葬式には行かない、と言う。

「我が家は、兄のせいで、ひどい目にあってきたから」

と旦那は言う。姉さんも同じ気持ちだろう。妹弟とも葬式に行きたがらない程のクズ兄。

医者から「回復する見込みはない」と言われているので、Ritaは、来週、人工呼吸器をはずすことにしたそうだ。

それから、葬儀の手配もし、メアリーの隣に葬る準備も進めているという。

安らかに眠っていたメアリーだって、いまさらこの男に隣に来られても迷惑なんじゃないのかな。