亡父と来客の思い出

私の実家は、かなり長い間、貧乏だった。

学歴のない父が、大卒や高卒の人たちの中に入って働いていたもんだから、最初から周囲に比べ、基本給が格段に低かったのだ。

 

私も、幼心に、うちって貧乏だなと思っていた。

まず、他の家に比べて、家具や調理器具などが少なかったし、ぼろかった。

洗濯機やテレビ、自転車もしかり。いつも周りの家のものと比べると、一時代遅れたようなもので、うちくらい最後まで白黒テレビを見ていた家はなかったんじゃないかな。

それなのに、父は、急にお客を連れてきたり、果ては、泊めさせることが多かった。突然何人も連れてくるものだから、母はてんてこ舞いだった。

長じて私も手伝うようになったけれど、いま思い返しても、腹立たしくて仕方ない。

まあ、当時は、女性は専業主婦なのが当たり前で、食べて生きていく代わりに、主婦として台所を切り盛りするのは当然だった時代ではあったけれど。

うちが貧乏なくせに、父は、夏休みなどに、親戚を「遊びに来い」と誘うのも好きだった。

一家4人、やっと寝られるようなスペースの住まいにしか住んでいなかったのに、そこへ親戚が来るものだから、私ら家族は居間を親戚に譲って、折り重なるように布団をしいて寝た。

父は、本当に、本心から「来い、来い」と言っていたのだろうか?

もちろん、ウチの方からそれら親戚の家に遊びに行くこともあったけど、大人に連れられて行ったって、子供には苦行でしかなかったけど。

 

母は、親戚が来ると、毎日、テーブルに並びきらないほどの料理を作ってもてなしていた。

本当に料理上手だった母。しかし、今思うと、金銭的、体力的、精神的にどれほど負担だったか、同情してしまう。

 

ウチは貧乏なのに、親戚の人たちにこんなに食べ物を食べられたら、ますます貧乏になってしまう。

子供時代の私はそれが心配で、心配で、私は、親戚の子に、

 

「あまり食べちゃ駄目!」

 

と注意した。

そうしたら、親から「そんなこと言ったら駄目!」と、叱られた。

 

親戚の子たちに食べられたら、食べ物が勿体ないので、私は、その子たちの食べる量を減らそうと、腹がはじけるくらい食べた。

結果、食べ過ぎで腹痛を起こし、下痢をした。

 

・・・・ 昔話を思い出して書いてしまった。

現代では、ネットのママ漫画なんか見ると、夫の身勝手さに機嫌をそこねた妻が、緑の紙(離婚届)を置いて家を出る話なんていくらでも見る。夫の横暴さ、理不尽さにひたすら耐える時代が過ぎてくれて良かった。