ダビデ像など裸像について

あ~~あ、アメリカでもやっぱりごく少数者による過度な権利行使に屈服してしまったかあ~~。

いまどきの西側諸国って、こういう話多いよね。こうなると、サイレントマジョリティーって損みたいではないか。

 

話の発端は、ダビデ像の写真を、小学校の授業で6年生児童らに見せたことだ。

 

 

 

あらかじめ保護者らに「ダビデ像の写真を見せます」という許可を取らずに見せたことを批判され、校長が辞任に追い込まれた、という。

聞いたところ、たった一人の保護者からの強烈な苦情に屈服した形になったそうだ。

ひえ~~~っ。

まあ、要するに、誰でもそうだと思うけど、男性の裸像となると、誰でもまず「ソノ部分」に目が行く。この親は、相当な潔癖主義者(か宗教的なもの?)らしいが、それで校長を首にまでするかあ?

 

まあ、それは極端な例だが、芸術にうとい私にとって、そもそも論だけど、なぜ、彫像を「裸」で造らねばならないのか理解できない。衣服をまとっている彫像がなぜこんなに見掛けないのだろう?

横浜駅周辺は、マジで裸婦裸だらけだ。東口にいたっては、女優の佐藤オリエさんの父親である佐藤忠良氏作、10歳くらいの少女の裸像があるのだが、その少女というのは、佐藤氏自身のお孫さんなのだ。

 

自分の孫の裸をさらすって、どういう気持ちなんだろう。それを解さないのは芸術心がない、と批判されたらそれまでだが、このお孫さん、いまでは立派な中年になっているだろうけど、自分の裸の像が人通りの多いところに置かれているって、年取ったあとでも平気なのだろうか。私だったらいやだ。

 

ダビデ像の続きだが、女性の裸像の場合、股間は平らだけど、男性の裸像の場合、ソノ部分の作り方はだいたい3通りある。

 

1.葉っぱとか何かで覆い隠す

2.もっこりはするけど、形を正確に造らない

3.形を正確に造る (含・ダビデ像

 

女性の裸像は、乳房やお尻をふっくらさせるので、まあ百歩譲って目にも優しいけれど、男性の場合は、見ていて痛い。

どうしてそうまでして裸像にする必要性があるのだろうか。

たとえば、上野にある朝倉彫塑館、あそこは彫刻家の朝倉文夫氏のおうちを美術館に改装したものだけど、入り口にいきなり「3」の男性裸像があるものね。

 

下の写真は朝倉彫塑館ではないけれど、とある美術館の前に立っていた朝倉の「3」の一つ。

 

 

ん~~、フロリダの某母親ほどの反応は示さないけれど、やっぱり、裸身にしなければならない芸術性は私にはわからない。