紫式部もあの世でお怒りかも 大河風創作ドラマ

私、本ブログの自己紹介欄に、Yahooブログが閉鎖した日を忘れないために書いているのだけど、昨日で丸5年経った。

ずっとYahooで書いていたのに、5年以上前のある時、突然「閉鎖します」と宣言され、仕方なく、Amebaブログに移行した。その他にも、移行先があったので、Amebaをメインとし、はてなとFC2にも、同じ記事をコピペしている。言ったら悪いけど、Amebaだっていつ突然、ということもあるかもしれないから。

 

 

さて、と、昨日でNHKの、大河ドラマ、のような、平安時代風創作ドラマが終わった。

もちろん、資料を読み込んで、1年間の放送分の脚本を書いた大石静氏の執筆力は、大変なものだと思うし、舞台や衣装を作って話を放送し続けたのは、受信料という膨大な収入源があるNHKならでは、である。

 

しかし、大河ドラマは、小中高生も見ている。そして、彼ら彼女らは、NHKで放送しているなら、あれを「史実」だと思ってしまう子も少なからずいるのではないか。

最後の数回しか見ていないのだけど、ぶったまげたのは、紫式部が、娘を、藤原道長の「托卵」だと、堂々セリフで吐かせていたことだ。うひゃ~~~っ!!

紫式部のみならず、夫の藤原宣孝も、あの世で怒り狂っているかもしれない。

こんなめちゃくちゃな脚本、よくNHKもそのまま放送したなあ。

 

藤原道長は、源氏物語の愛読者だったらしく、娘・彰子の家庭教師でもあった紫式部に、原稿の催促をしていた、といった話は、どこかで読んだ。

しかし、二人の間には、いくら不倫とか不貞といった概念がなかった時代でも、男女の関係はなかったと私は強く思っている。

なぜなら、紫式部自身が、自分で書いた日記に、

 

「私のもとを道長さまが夜訪れて、戸を叩いたが、私は中に入れなかった。翌朝、道長さまから、

 

夜もすがら 水鶏よりけに なくなくぞ 真木の戸口に 叩きわびつる

昨日は一晩中あなたの部屋をノックしていたのですよ)

という歌が来たけれど、私は、

 

ただならじ とばかり叩く 水鶏ゆゑ 開けてはいかに くやしからまし

(戸を開けてしまったら、きっと後悔するような結果になっていたことでしょう)

と返歌したのよ」

 

と日記に残しているからだ。

 

この和歌を送ってきた男性が道長だということは明記されていなかったのだが、話の流れから道長だったことは疑いない。そして、紫式部はしっかり「私は身持ちの固い女」アピールをしたのだが、私、これを見ただけでも、同性として、紫式部は、お勉強が得意で男子に敬遠される不美人タイプであったと容易に想像できるのである。なぜなら、私自身、完全にそういうタイプだったから。そして、そういう非モテに限って、

道長さまは私にまで手を出そうとしてきたのよ」

と、ナンパされた数少ない自慢をしたがるものである。この気持ち、モテ経験が少ない私にも、痛いほどわかる。

紫式部が、かなり年の離れていたらしい藤原宣孝と遅い結婚をしたのも、このころの結婚は家同士の地位で行われていたとはいえ、あんまり男に縁がなさそうだったことの裏付けだと思っている。

 

見も知らぬ私にこんなことを書かれ、紫式部もお怒りかと思うけど、私は勝手に彼女と自分に似ているところがあると思っているので、妄言多謝。