さよなら、新京成電鉄

さよなら、と言っても廃線されるわけではない。京成電鉄との合併により、4月1日から「新京成電鉄」から「京成松戸線」に名称が変わるだけで、電車は変わらずに走り続ける。

しかし今、Wikiを見たら、すでに「かつて存在した鉄道会社」になっていた。編集早過ぎ~~。

 

幼少期、松戸は常盤平で育った私、新京成こそ「電車」であった。たまに、おしゃれな服とか何か、ちょっと違ったものを買いに、母に連れられて松戸に出るときは、なんか「上京」のような気持がしたものだ。

京成のwebsiteには「特に引継ぎセレモニーはない」とあったが、いてもたってもいられず、新京成電鉄の最終日、行ってしまった。

 

社内の中吊り。「こんにちは、京成電鉄 松戸線です」と。

 

新京成線」の文字が、紙で貼られている。3月31日の最終電車が出たら、はがして、下にある(であろう)「松戸線」の文字を出すつもりだったろう。

 

これも、同様。

 

あざやかなピンクのラインが引かれた車体。しかし私が子供のころはこんな色ではなかった。クリーム色+あずき色だった。

 

なつかしくて、涙が出る。

ここは、東京へ通勤するサラリーマンたちの住宅として、大々的に造成された団地群がある街だ。当時は、少子化なんて言葉はなく、誰でも結婚して子供が2人くらいいるのが当たり前だった。小学校には、収容しきれないほど子供がいた。先生たちのレベルも低く、おそまつな教育ぶりだった。

 

この「星型団地」があるのがきわめてユニーク。ほかの団地は4階建てなのに、これだけは5階だ。

 

前回来た時になかった大変化。団地の壁は丁寧に塗り直されているが、その上、こんなアルファべット表記と漢字表記が加えられていて、びっくり。

 

まあ、老朽化著しいこの団地に、最近は、日本人ではない人たちが続々入居しているからかなあ、とも思った。私の家族がかつて住んでいた部屋も、空き部屋だった。

 

まだ「新京成電鉄」表示の常盤平駅。これは貼ってあるものではなかった。そっくり取替えるのだろうか?

 

高度経済成長期をささえた猛烈サラリーマンたちが住んでいた街も、いまやすっかり老い衰え、かつて商店街があったところもシャッターが下りていたり、デイケアとか老人施設案内所とかになっていた。通った小学校もぼろぼろだった。幼稚園は、更地にされ、駐車場と化していた。

 

とにかく、胸が熱くなるやら、複雑な気持ち。ここに住んで、長野に転勤するまで、父は東京へ通勤し、母は専業主婦であった。

 

新京成電鉄、長い間、ありがとう。

 

 

ちょっとわけあって「北小金」に足を延ばしたのだが、ここがマツキヨ創業の地だということは全く知らなかった。

 

 

小金は、かつては水戸藩江戸城に参内するための宿場町であったそうだ。この創業の碑の道をはさんだ隣に、マツキヨの店舗がちゃんとあった。