教育放送こそNHK、だと思う

私は「E電」のように虫唾が走るため、「Eテレ」などと言わず「教育放送」と呼んでいる。Eテレ?ああ、むずむず。

ところで、経済学者の高橋洋一氏が、NHK改革の一環として、

「教育放送の売却案」

を提示したのには、え?と思った。

結論から行くと、私はこの案には大反対である。

視聴率をてらわずとも、語学やその他、地味だが教育的な番組を流すことこそ、NHKNHKたる使命だと思っているからだ。民放でもできる、視聴率狙いのバラエティーやクイズ番組なんぞ不要。支那や韓国にすり寄ったりせず、とにかく偏りのない報道とかドキュメンタリーだけに特化すれば良い。

ラジオだって、主眼は教育放送である。私が留学もせず、英語を学べたのも、教育放送のおかげだ。

 

それに、いまBSは3チャンネルもあるの?

そんなにあって、全部見る人がいるとは思えない。1局で十分だ。3局ものコンテンツを作っているなら、それにまつわる制作費も人も膨大なものだと推察できるが、黙っていても天から受信料が降ってくるせいで、意に介さないらしい。

ある民放の政策担当者がNHKの制作現場を見て、

「こんなに人が来るんだと知って、びっくりした」

と述べている。民放だと一人でやりそうな業務を、NHKは3~4人とかでやるので、ぎょっとしたそうだ。まさに、お金に困っていない組織の肥大化が露骨になってきている。

総務大臣、携帯料金の引き下げだけでなく、NHKのスリム化も合わせてお願いします。

 

ところで、以下は余談。死んだ父方の婆さんの話である。

 

この婆さんは、人から嫌われるために世に生まれ出たようなクソババアだった。

とにかく、田舎出の無学無教養な婆さんだったくせに、まあ、まあ、根拠の無い見栄とプライドと知ったかぶりで生きていた。ただの乞食婆さんだったのに、どこをどう押したらあれほど気位が高くなれるのか、親戚中のナゾであった。

もちろん、父を産んだのだから、爺さんなるヒトと交接したのだろうけど、戸籍謄本を見たら、父が生まれたあとで入籍し、すぐ抜いている。行きずりの男だったに違いない。ちなみに、婆さんは父を育てていない。新潟の田舎に預けっぱなしにしており、この二人の間に、母と子という感情は全くなかった。

このプライドだけは富士山より高いクソババアの口癖は、

「私はエムエチケーしか見ない」

というものであった。「私はすごい高尚で上質な人間なので、エムエチケーしか見ない」と自慢し、よそにも言いふらしていた。何回「エヌ、だよ」と訂正しても、一瞬「エヌ」と言い直すが、翌日からまた「エムエチケー」で、死ぬまで直らなかった。

「私は、シーエムのかかるのがいやなの」

と言いふらすのも、また口癖だった。「民放」という日本語を知らないのであった。

とにかく、人に対しては、表向き「エムエチケーしか見ない」と吹聴していながら、陰では「サザエさん」なんかも見ていた。

本当にクソババアだったなあ。憎まれっ子世にはばかる、ということわざ通り、みんなに嫌われ、うとまれ、憎まれながら、100年近くの長寿を全うした。迷惑なことこの上なかった。

だから、今でも、「NHK」と聞くと、反射的にこの婆さんと「エムエチケー」という言葉が浮かんできてしまう。

支那製「窒息マスク」

まだ暑い頃に買いだめしてあった「冷感マスク」を、いまごろ開封した。

 

紙製ではなく、ツルツルしたシルクのようなタイプ。ナイロン80%にポリウレタン20%。

 

しっかり支那語の「産品合格証」が入っていた。うげ。浙江省金華市ってどこだろう。

 

 

 

さて、実際にかけて外出してみたんだけど、

「死ぬか」

と思った。

だって、鼻の穴で呼吸するたび、両方の穴にぴったりとくっついて、息ができないんだもの!!

窒息マスク、だな。さすが支那製品。

試しに、鼻の上にティッシュを1枚かぶせてからこのマスクをしたら、やっと呼吸ができるようになった。

変なマスクだなあ。

 

こういう、ツルツルタイプのマスクをかけている人を街中や電車の中でよく見るけれど、それらのマスクはちゃんと呼吸できるんだろうか。

 

汁物って、いいなあ

寒くなってくると、鍋物とか、熱々の汁物が恋しくなる。

こういう料理が普通にある日本って、なんと素晴らしいんだろう。

そして、もっと素晴らしいのは、こういう料理に合う食材が、寒さが増すにつれて、美味しくなること。

大根、白菜などの冬野菜。鱈、アンコウなどの魚たちや、それらのアラ。自然の仕組みに、感謝感謝である。

 

うちの旦那は、「I'm not crazy about soup」という人だった。

英語で「Not crazy」というのは、「気チガイではない」という意味ではなく、「あまり好きじゃない」程度の意味だ。そうは言っていながら、私が作るコーンスープとか、その他さまざまなスープ、ポタージュ類は、出せばぺろっと食べたので、要するに、料理が超下手くそだった母親が、缶詰を開ける以外のスープを作って出したことがなかったせいらしい。

しかし、鍋物のように「湯気が出る食べ物」には、保存して置いた服にカビが生えたことをきっかけに、家では厳禁となった。この「鍋物禁止令」については、過去Yahooブログに再三書いたから省くけど、日本人にとって冬場に鍋がNGなんて、悲しいことこの上なかった。おまけに、ヤツは、除湿機を買ってきて、年中狂ったようにかけまくったのである。家に湿気があると、激怒した。こういうところが、国際結婚の狂気である(というか、ヤツの狂気。かっとなると、見境もなくなる)。

それでも、京都から横浜に戻ってきて以降、私が鍋を出せばだんだん食べるようになった。もちろん、鍋にはすぐふたをする、等の厳しい条件があるが。

 

先週、毎週録画して見ている日テレの「ケンミンショー」で、日本中の汁物特集をやっていたので、食い入るように見てしまった。

いいなあ。汁物は、水がベースだから、大量に作るのにうってつけだ。材料なんて目分量でもなんとかなるのも、また良い。そして何より、「ゴボウ」の存在が大きい。ゴボウを食べる国は日本とあとどこかくらいらしいけど、ゴボウは、味だしの役割も果たす偉大な野菜である。ゴボウを入れる、入れないで、味は大きく違ってくる。そして、味噌という調味料により、西洋で言えばシチューっぽくなる。

 

長野県では、レタスの味噌汁を食べるというのがフィーチャーされていたけど、私は新婚時代、故・滝沢真理先生の料理本で、「レタスバター」という味噌汁を見てから、普通に作っていた。レタスって、生だとかさばって食べづらいが、スープにしたり、炒めてオイスターソースで味を付けると、1玉くらいぺろっと食べられてしまう。レタスの味噌汁にバター、って、すごく合う。

 

 

番組中に出ていた、北海道の「タチ(鱈の白子)の味噌汁」、さっそくマネして作ってみたが、う~~ん、これは、もう、いいかな。白子は大好きなんだけど、ポン酢などでしっかり味を付けないと美味しく食べられないことが発覚。

 

 

のっぺって、新潟の汁物らしいが、うちの兄嫁の田舎(茨城県)では、お正月、おせち料理というものを全く作らず、新年は「お赤飯とのっぺ」で祝うのだという。へえ、おせちを作らない地方があるんだ、と驚いたけどね。

 

ケンミンショーを見ていると、どこの家でも、主婦(おかあさんやおばあちゃん)たちが台所をしきり、

「は~い、できましたよ」

と、お料理を運んでくる。

私は、頭が古いのかもしれないけど、いくら「男女平等」が進んだとしても、こういう光景を見ると、ほっとしてしまうのだ。もしこれが、女がテーブルに座って、男が料理と給仕をする、って、やっぱ、サマにならないなあ。「お袋の味」は、永遠の記憶に残るから。

うちのアメリカ人旦那のように、料理のできない母親に育てられると、そういう記憶がなく、食に関してはつらい思い出しか残らなくなる。しかし、そのおかげで、私の手料理は、なんでもかんでも美味しそうに食べてくれる。その辺の日本人よりずーっとずーっと好き嫌いは少ない。

 

微妙な言葉、アクセントの違い

私は中学を出て高校に行くとき、父親が遠方に転勤したため、転居先の高校受験に間に合わなかったので、下宿屋さんをやっていた友人の家に3ヶ月だけ住まわせてもらっていたことがあった。

お世話になっておきながら言ってはなんだが、この家の料理には、色々とびっくりした。

味付けも、母のそれとは全く異なった。我が両親は、秋田と新潟という日本海の寒いところ育ちだったので、何でもしょっぱく、甘辛く、味が濃く、が基本だった。それが、この下宿先では、食べ物にほとんど色が付かないほど味がないのである。それを、その家のお母さんが、

「うちは、甘あじ好みだから」

と説明したけど、「え?どこも甘くなんかないけど、甘い味って何??」と、絶句した。「どこかに隠し砂糖でも溶けているの?」と思ってさがしたけど、なかった。

時々、その家のお父さんが「これは甘過ぎるぞ」と、おかずをつき返していたことがあったが、その場合、ほとんど真っ白で、調味料の存在が感じられないのである。それでも「砂糖」などの甘味は全くなかった。甘い、甘過ぎる、って何????と思っているうちに、私の下宿期間は終わった。

辞書で「甘い」をひくと、もちろん、砂糖や蜂蜜のような「甘味」もあるが、「塩気が少ない、辛くない」とも書かれているから、間違った表現ではないことはわかった。しかし、誤解を避けるため、「塩気が少ない」というか「薄い」「薄味」って言って欲しかったなあ。

それから、関西の人が良く言う「からい」にも困る。私にとって「からい」は、唐辛子やわさびのような刺激味を言うのであって、「しょっぱい」は完全に別の味だ。大阪の人たちは、グルメを自称しているけど、「これ、からいわ」なんて言われても、香辛料が効いているのか、塩分が強いのか、判別できない。どうしてこんなに違う2つの意味が、同じ単語で済まされるのかな。「塩辛い」と言われればわかるけど。

 

 

先日、録画していた「NHK俳句」を見ていたら。その日のテーマは「枯れ木」。実名をあげて申し訳ないのだけど、講師の対馬康子さんが、何度も、

「歯が落ちる」

「歯が抜ける」

と発語されるので、私は「???」。

もちろん、先生は「葉が落ちる」「葉が抜ける」とおっしゃっているつもりなのだろうけど、アクセントが完全に「歯」なのである。

それぞれ、歯が抜ける場合は、

 

がぬける

のとおり、冒頭の「は」が高く、葉っぱの場合は、

 

↓は がぬける

 

と我々は(普通)発音する。支那語の4声ほど複雑ではないけど、たった「は」1音でも、発音の仕方は全く違う、と、無意識にやっていることを改めて悟った次第。日本語を習得中の外国人だったら、これは、文字を読んでいるだけでは身につかないことだ。

 

最近、「熱いエネルギー」を「厚いエネルギー」と発音したり(黒木瞳さん、とか)、「厚い」「熱い、暑い」の発音も混同されがちだし、なにかと「アクセント違うよ?」と思う単語があれこれ耳にひっかかる。

アクセントの問題じゃないけど、

「全然大丈夫」「全然いい」「全然OK」

という、「全然」を「否定につながる副詞」ではなく、肯定の副詞(veryと同じ)に使うのが大っ嫌いなのが、最近、無意味な抵抗になってきているようで、悲しい私。

私は意地でも「全然問題ないです」「なんともありません」「何も支障ないです」「OKです」「とても良いです」と言い続けている。

「所有権」が強すぎるせいかも?

日本の民法では、物を排他的に支配する権利として「物権」が定められており、これは、「債権」が自由に設定できるのとは対象に、非常に強い権利であるため、法律で定めるもののみとされている。

物権の中でも、最強のそれは、もちろん、「所有権」である。所有権とは、ものを、自由に、使用、収益、処分できる権利を言う。

 

 

しかしね・・・・

 

最近の「空き家」の増え方を見ると、「所有権って、強すぎじゃん?」と思ってしまうことがある。

ここ横浜でも、こんなふうに、ボロボロの空き家が目に付く。横浜だから、地価は安くはないはずだ。

かつては誰かが住んでいたのだろうけど、相続する人もなく、荒れるに任せたまま。自家用車が停まっている家もあるが、塗料もはげ、伸びた雑草に覆われている。

周囲の家の人たちは、どれほど迷惑だろう。こんな家だったら、泥棒とか浮浪者が住んでしまいそうだ。

固定資産税なんて、とうの昔から払っていないだろう。

 

日本には「戸籍制度」というものがあるから、戸籍をたどれば、相続人がいるかいないかわかる。

しかし、はるか遠い遠い、会ったこともない親族が「相続人でござい」と登場したら、権利だけ主張し、管理や税金の支払いと言った義務は逃れたがるに違いない。なまじ戸籍制度というものがあると、海外にまで、会ったこともない相続人を追わないと、話が決着しないこともある。それでも、連絡が取れればまだましな方だろう。

 

固定資産税が滞納されたって、自治体の方だって、おいそれと訴訟を起こし、競売し、というわけにはいくまい。それには多額の費用もかかるし。

 

日本の民法は、不動産には、必ず家族や相続人がいて、それらの人がちゃんと引き継いで管理してくれるもの、と期待しすぎている。もう少し、不動産の所有権に対しては、管理義務と並行して、物権を緩めないと、国中、荒れ果てた空き家の管理に苦しめられるだろう。文句があるなら、ちゃんと管理し、税金を払えと言ってやれない制度がはがゆい。

 

ところで、先日TVを見ていて偶然知ったのだが、判例によると、「不動産の所有権は放棄できない」のだそうだ。法律の明文にはないことで、最高裁でそう判示された、ということだが、それならますます、物権をもうちょっと緩めねば、と言いたくなってくる。

 

またキレそうになった、おっさんたちの行動

最近なぜか、思わずキレそうになる行動を見せるおっさんたちに出くわす。

 

まずは、スーパーAEONでの一コマ。

おっさん、というほどの年齢には行っていないけど、妻と3人の子を連れた男性が、店員さんに、

「○○の売り場はどこ?」

と聞いている。店員さんが「この上のフロアです」と答えたら、そのお父さん、妻子を振り返り、

「おい、上だってよ」

と言っただけで、スタスタ歩き出した。妻子も付いていった。

おいおい、人に物を尋ねたら、お礼の一言くらい言えよ!

私はこういう光景を見ると、後ろから跳び蹴りしたくなるのだが、刃向かったらこっちの身が危ないので、腹に納めておく。奥さんも一言もいわない。こういうオヤジや母親に育てられた子供たち、まともに礼儀を身につけるんだろうか。

 

また過日は、2人組のちょっと初老の、トラックドライバーか、道路の工事に当たるか、そんな作業員風の二人を見た。二人とも、いまどき、たばこを吸いながら道を歩いている。そうしたら、吸い殻を、道にぼとっと落として去って行った。

私は喫煙者の脳みそがわからない。あいつらは、道に落とせば、吸い殻は自動的に消えてなくなると思っているのだろうか。これも背後から跳び蹴りしようと思ったが、諦めた。

 

また、ある日、役所の窓口に、とある書類を申請しに行ったときのこと。

こっちは限られている時間の中で待っているのだが、私の前の順番の男が、まあ、まあ、窓口の人にしゃべるったらありゃしない。

聞いていたら、前には●●に住んでいたが、今住んでいる▲▲に引っ越して、その間の引き継ぎの書類が、うんぬん、とのこと。

まあ、書類が完成していなかったとしたら、その男も目的を達することができないなど、事情はあったのだろうけど、それが解決したらしく、「やっと私の番!」と思ったら、まあ、その男、会社の上司がどうだ、こうだと、書類に直接関係ない余談が長いのなんの。

私はこういうのを「後ろに目がないやつ」と呼んで軽蔑している。

まともに会社員、社会人として働いたことがないんだろうか。それとも、退職して長年たって、そういった感覚が雲散霧消してしまったのだろうか。自分以外にも待っている人がいる、という感覚を失ったら、もう「ぼけ」だと思って良い。

ヘンなの 今年の漢字「密」

毎年、清水寺貫主さまが揮毫なさるが、今年の漢字

「密」

なのだそう。

えっ??と思った。だって「密を避けろ」という趣旨なのに。

こうなってはいけない、という文字なのに、選ばれたの?

その意味からいけば「粗」ないし「疎」の方が正しいのだけど。

 

 

 

2位は「禍」だそうだが、意味としてはこっちの方がずっと納得がいく。

 

Go toキャンペーンも、今月28日から1月11日まで、全国的に停止されるそうだ。

せっかく安倍総理の後を継いで就任した菅総理の支持率も、政府の発言や対応がころころ変わることで、下がり出している。

しかし、一番の癌は、二階だ。

二階は、菅総理や西村大臣のように表には出ず、しかし、裏で糸を引いている。

世界中、日本中、人出がなくて困っている職業人は、飲食、映画、お芝居、娯楽、スポーツジム経営その他、数え切れないほどいるのに、なぜことさら旅行業ばかり税金によるサポートに出たかというと、それはもう、二階が全国旅行業協会の会長だからである。

 

ほんと、いやらしいくらい、わかりやすい。

 

自民党は、どうして安倍政権のときから、80過ぎの高齢者である二階を幹事長に据え続けているのだろう。

このままでは、税金が二階の指先三寸で食い潰されてしまうではないか。