池袋 飯塚老人処罰に名案

あの池袋の、2名殺人重軽傷7名(同乗の妻除く)の事故が起きたのが4月19日。飯塚幸三については、逮捕状が出ていないことから、マスゴミも敬称をつけるのに苦慮しており、もう20年以上前に引退した旧・通産省時代のポジションで、「元院長」などと読んでいる。さすがに「さん」は気が引けているのだろうが、それにしても、日本語の呼称は不自由だ。私も仕方ないので、正式な呼称になはらないが「老人」と呼ぶ。

その間、大津市の園児の事故が起きたりで、この飯塚老人の事故の件が少しかすんでしまったが、大津市の園児たちの親も、そして急に妻子を奪われた池袋の件の男性の悲しみも、癒えることがない。
 
飯塚老人がなぜ逮捕されないかと言う点については、ネットで専門家が述べているから、ここには書かないけど、私の予感では、このまま「入院逃げ、死に逃げ」を図る、と思う。すでに87歳、誰だって明日死んでもおかしくない年だ。今の入院の直接の理由は骨折だそうだが、あの年なら、「事故による精神的なショックでうつ病に」等々、入院を続ける原因はいくらでも作れるだろう。「上級国民」なので、アドバイスしてくれる上級専門家もあろうし、87歳では、逮捕・勾留する警察側も逆に気が重い。勾留中に急死したら、遺族から逆に訴えられてしまうであろう。
 
私が前に「免許証の年齢制限を75歳までに」と書いたら、高齢のブロガーさんから、「高齢者を十把一からげにするな」といった反応をいただいた。また、ことさらに若い人らの事故記事を取り上げて反論するがお好きな高齢ブロガーさんもおられる。しかし、16歳17歳でどんなに運転技術があっても、十把一からげに免許を持たせないことに異論はないのだから、おしまいを区切ってもおかしくない。支那では十把一絡げで70歳が限度だそうだ。これからの時代、独身、子供なし等で、免許返納を勧めてくれる家族のいない高齢者が増大するのだ。終わりを区切る必要は、いや増すばかりだ。
 
「老人をばかにするな」というコメントもよく見るが、バカにしているのではなく、年を取れば人間は誰でも必ず衰えるということを素直に認めよ、というだけの話だ。偏差値のカーブのように、若いころは低かった運転能力が徐々に上がり、ある年齢でピークを打ち、それから徐々に衰えていく。しかし、老化とともに頑固になり、衰えを素直に認めない。それを「バカにするな」と言うのは、ただの感情論であって、問題点の解決には全くならない。そういうかたくなな老人にだけはなりたくないものだ。「俺も(私も)もうそろそろだな」という素直で柔軟な態度が取れなくなったらおしまいだ。
 
私が好きな女性作家・ブロガーのちきりんさんが、飯塚老人の今後について、非常に良いことを書いておられたので、一部引用する。
 
 
★★★
(上略)
私が考えたのは、懲役の「役務」として、社会奉仕的な役務を指定してはどうか、ということです。
実は他の先進国には、施設での奉仕活動や町での清掃活動など、数十時間から数百時間の福祉的な活動を刑罰の一種とする制度があります。
たとえば池袋でアクセルとブレーキを踏み間違えたとみられている高齢ドライバーの刑罰に「200時間の体験講演」をくわえてみてはどうでしょう。
(以下略)
 
What a good idea!!!
87歳の飯塚老人など、刑務所に収監するより、この方が数段世のため人のためになる。「自分のようになってはいけない」と、当の本人が免許証返納活動に歩くほど、効き目があるものはない。老親がなかなか返納に応じない家に出張して、説得にあたるというのもよいであろう。
 
この飯塚老人が起こした事故の影響だが、都内では、GWあけの3日間で、高齢者を中心に1200名以上が免許を返納したそうだ。素晴らしい。