私は前方後円墳マニア

私はお城も大好きなのだが、実は、昔から、前方後円墳にぞっこんのマニアである。旦那には、

「私は前世、どこかのプリンセスだったんだよ」
と言ってある。

この度、大阪府の百舌鳥・古市古墳群が、世界遺産に登録されることに決まって非常に嬉しい。が、正直「まだ登録されていなかったの?」とも思った。
 
以前勤めていた会社で、関西地区の従業員から裁判を起こされ、その傍聴のために、大阪地裁堺支部に時々通っていた。こんな嬉しい出張はなかった。なぜか裁判は月曜日に設定されたので、前日には行って、大山古墳(通称仁徳天皇陵)からはじまり、住宅開発業者に丸ぼうずにされ、あやうく潰される寸前で救われた「いたすけ古墳」まで、百舌鳥古墳群は、あちこちくまなく歩いた。そしてその晩は泊まり(これは自費)、次の日に傍聴に行ったのである。
 
大山古墳の周囲には、小さい前方後円墳や円墳が数多く存在することも見て知った(下のパンフレットの表紙にも出ている)。同古墳の南側が市の公園になっており、そこに「堺市博物館」があった。私のためにあるような博物館である。そこで買ってきたパンフレット、まだ持っている。
 
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「なぜあのような鍵穴型の古墳なのか」
「なぜ堺の周囲だけにあれほど前方後円墳が集まっているのか」
私を含め、誰もが抱く疑問ではあるが、その答えは研究者でもわからない永遠の謎だ。
「古墳を作るために大量の土が必要だから、その土を取ったあとの周囲は堀となった」
のは分かるが、そこに入れた水はどこから引いてきたのだろう。二重の堀を持つ前方後円墳は多いが、三重の堀を持っているのは、後にも先にも大山古墳だけである。さすが、と言うべきか。
 
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上は、日本の考古学の第一人者の森浩一・同志社大学名誉教授が書いた、そのものずばり「古墳」という本。保育社刊、初版は昭和45年12月、昭和62年12月重版、とある。私もいつ買ったのか全く覚えていない。
 
著者欄に紹介されている森先生の写真(↓)は、まだ働き盛りのお年であるが、私は先生が御年80歳のときの講演を聞きに行ったことがある。その時は、古墳ではなく、日本の捕鯨に関する会合で、森先生は、発酵学の権威の小泉武夫先生らと並ぶスピーカーのお一人であった。終了後、サイン会があり、私は、あらかじめ持ってきたこの本を開き、先生にサインをお願いすると、
「よくこんな本、まだ持っていましたねえ」
と驚かれた。その先生も、2013年に他界された。
 
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ああ、また古墳が見たくなった。
なぜあの形なのか、正しくは誰を埋葬したのか、あの大小の規模の差はどこで誰が決めたのか。そして、大山古墳から出土したと伝えられる鏡、太刀の柄、馬鐸、三環鈴がなぜボストン美術館にあるのか。