あのころ、私らは、旦那がたまたま(かろうじて)就職口を見つけた会社のある京都市に住んでいた。
朝、5時46分、二人そろって、布団から放り出された。
あいつは、買ったばかりで何より大事にしていたマックのコンピューターにしがみついた。
私は、冷蔵庫が倒れてきそうだったので、必死で抑えた。
京都だったので、建物や家財などに対する実害は、ほぼなかった。
電気もガスも水道も出た。
しかし、しばらくの間、電話が通じなくなったのには困った。携帯のない時代、我らが無事であることをすぐ知らせられなかった。
しかし、その後、「かけること」はできなくても、「かかってきた」ものを受電することはできるのを知った。どういうメカニズムだったのだろう。
そして、もう一つ、公衆電話からならかけられることも知った。公衆電話は、回線使用の優先順位が高いのだと知った。
このときの経験から、今日まで、10円玉をたくさんため込んでいる。
しかし、今どきは公衆電話自体、滅多に見なくなった。みんなで一斉に携帯からかければつながりにくいこともあろう。
なので、やっぱ、ためておいた10円玉、このまま持っていることにする。携帯の充電ができない事態になることも想定される。その場合は、みんなで1台の公衆電話をシェアするかもしれない。
あの地震が起こるまで、「関西には地震なんてない」と信じられていた。
神戸のどこかに、そんな「地震もない関西」にもかかわらず、反対意見を押し切って、各店舗の建物に、床下から地下まで食い込む、太くて長い釘のような金属を差し込んだ耐震建築にした商店街があったと聞く。その商店街は、あれほどの地震にも難なく持ちこたえ、いつも通り営業を始められたそうだ。