もう一人の「上級国民」

池袋で、何の罪もない母子をはね殺した上級国民の飯塚被告(以下「KJJ」という)は、聞いたところによると、弁護士からは、

「罪は認め、ただ、高齢等を理由に情状酌量を求めた方がいい」

という方針を指示されていたのに、裁判の場で、それに逆らい、相も変わらぬ

「車の誤作動」

を主張したそうだ。

車の点検で、ブレーキを踏んだ形跡がないことが確認されているのに、あくまで車の誤作動のせいにし、ばっくれたまま死に逃げを図ろうとしている。許せないKJJである。トヨタは、このKJJでプリウスのイメージに多大な悪影響を被ったに違いない。是非このKJJを提訴して欲しい。

 

さて、一方、

「あの上級国民さんは、どうなったかな」

と頭の片隅にあった、哀れな父親の控訴審裁判も始まったようだ。

農林水産省次官の、熊沢被告である。

報道を見て驚いたのだが、一審で懲役6年(実刑)を下されたこの人の弁護人の編み出した「無罪への道」なのだろうか、

「長男を殺害したのは正当防衛であって、無罪を主張する」

と陳述したさそうだ。このセオリーには、正直、首をかしげる

ならばどうして地裁の段階で正当防衛を主張しておかなかったのか。一審の審議内容をつぶさに見たわけでないのでわからないが、一審で情状酌量を求めたけど実刑になったので、方針を転換したか、弁護士を変えたのか。

また、一審では、「長男を殺害したのは抵抗を受ける前」と認定されていたのに、控訴審で急に「もみあったと考えるのが自然」と、主張を変更したのも、いかにも取ってくっつけた感じがする。40代で体力のある息子を殺害するのなら、就寝中か、座ったり休息中だったり、隙のあるときでないと危ないではないか。もみ合ったら70代に勝ち目はない。

 

しかし、KJJと比べたら、この熊沢被告には、数百万倍、同情してしまう。

自らがエリートゆえに、他人に弱みをさらせず、ひたすら自分の家族内で押さえ込もうとしていた点は、多少問題があった。

しかし、熊沢被告の場合は、70過ぎても、40過ぎた引きこもり+精神疾患の息子からさんざん暴力、暴言を受けてきており、また、娘は、縁談を破棄されたのを苦に自殺までしてしまった。熊沢被告も、十分被害者である。

作家の田辺聖子さんは、

「子供は、当たるものだ」

と書いていた。熊沢氏は、ハズレの子を作ってしまったのであり、そのハズレを、さんざん苦悩したあげく、自ら摘み取ったのである。

 

世の中の学者や研究者らは「性善説」に基づいており、一生懸命治療や指導をすれば、人は良い方向に立ち上がっていく、と思い込みすぎている。

しかし、世の中には、箸にも棒にもかからぬクズ、治癒不可能なクズ、生まれてこない方が良かったようなクズはわずかながら絶対に生まれ出るのである。そういうクズはどうしたらいいかの社会的な回答があるとは思えない。

いくら老いても、親、家庭のせいにされるのがとどのつまりだ。

ここまで酷いと、殺害にもうなずいてしまう。父として、登戸事件のような犯罪が起こるのを未然に防いだとも言える。

KJJとは違い、熊沢被告には、執行猶予を望みたい。