猪木さん、円楽さん

この頃、誰もが知る人の死が相次いでいる。

 

プロレスファンでなくとも、アントニオ猪木さんの名前を知らない人はいない。

馬場さんと並んで、日本のプロレス界を築いた巨頭だ。特徴のある長いアゴ、何度も繰り返した離婚結婚、莫大な借金。国会議員にまでなった。私はかつて有楽町の選挙演説でご本人をお見かけしたなあ。老いられてからは、難病と闘っていた。

離婚しても倍賞さんとは良き関係を保っておられたみたいだが、男性が年を取ってから妻に先立たれるって、かなり痛々しい。

4番目の奥様と入るお墓を青森に建てたと聞いていたけど、横浜に納骨する、とも聞いた。どっち?

 

とにかく、合掌

 

それから、いまでもつい「楽太郎さん」と読んでしまいたくなるけど、円楽さんも亡くなった。

72歳で「晩年は」なんて言うのも、長寿の現代ではそぐわないけれど、晩年はそれこそ病の連続だった。

落語だけでなく、俳句も健闘なさっていた円楽さん。昨日のプレバトの最後に、円楽さんの登場シーンをまとめたものが2分あまり流れていた。

 

 

 

 

円楽さんの元の句、

「老いてなほ 色変えぬ松 芸の道」

を夏井先生は大胆に添削なさった。

 

「色変えぬ松 高座に遺す 扇子(かぜ)一本」

中七だった「色変えぬ松」をまんま上五にするのもなんか重いんじゃないか、と多少俳句をかじっている私は生意気にも感じてしまったけれど、でも、元の下五「芸の道」というのも、観念的で陳腐に見えるので、さすが夏井先生だ。

「これを辞世の句にしよう」と、当時は、完全にギャグとしておっしゃっていた円楽さん。こんなにもすぐに本当の辞世が来るとは、当時、円楽さんも、誰も、これっぽっちだって考えていなかったはず。

 

こちらも、合掌。