読めない名前

江戸川で発見された子供の遺体は、やはり不明となっていた少女であった。

 

ご家族が悲嘆にくれている中、こういうことを書くのは非常によろしくないのだろうけれど、この少女の名前が、「南 朝芽」というのを見て、「下の名前、あさめ? なんて読むの?」と思ったら、これで「さや」と読むのだそうだ。

どうして、近頃の世の親たちは、読めない名前を付けたがるのか、到底理解できない。

本来は「あい」と読む「愛」も、「あ」と読ませる例など目に付くが、この名前も「朝(あさ)」なのに、下の読みの「さ」だけ取ったりと、漢字を本来は違う勝手な読み方にするとは、日本語を理解できていないか、遊び半分でくずしているとしか思えない。ましてや、「芽」は「め」か「が」と読むのに、なぜ「や」なのか? 

こういうのも、キラキラネームの一種なのだろうか?

この子も、普通に生きていたら今後の人生で何万回「名前なんて読むの?」と聞かれ続ける運命だったことか。

 

私は、姓は平凡なので、名乗りやすくて気に入っているが、下の名前が嫌いで困っている。

その名の由来を親に聞いたことがあったが、昔のとある女性学者の名前から取ったそうだ。けど、その人は女性としては薄幸だったようで、一生独身だった。私が若い頃どんなに頑張っても彼ができなかったわけだ。旦那だけが唯一の成功事例。

国は、中学から高校生になったら、一度は改名のチャンスを全員平等に与えたらどうかと真剣に思っている。