鶴見神社と「三島由紀夫」

昔、ある人から、

「鶴見神社は御利益があるから、行きなさい」

と勧められたことがあった。

お参りに行くだけだったら簡単だ。私は何度も、

「早く結婚できますように」

などと祈りに行った。その後、不思議な成り行きで結婚相手が見つかったあとも、ことあるごとにいろんなことをお願いに行って、それが割とかなってきたような気がする(「宝くじで1億円当たりますように」とかいうレベルではなく)。

 

さて、その鶴見神社、聞くところによると、横浜最古の神社だそう。

(詳しくはWikipediaに)

 

これが入り口。

 

手水鉢は、いまどきの事態になる前から、センサー式で、手を出せば水が出るようになっている。だから水はたまっていない。

 

 

これが、拝殿。いまどきの事由で、鈴を鳴らすためのヒモは取り払われている。

 

 

さて、ここまではいいとして、この拝殿の隣側(写真右)には、小さな末社がいくつも建てられているのだが、その中に「清明社」というものがある。「清明」の揮毫は、三島由紀夫である。

 

 

この案内板によると、三島はかつて鶴見と浅からぬ縁があり、若かりし頃は、鶴見にあったバー「仔馬」の常連で、その経営者の方とも親しく、息子さんの名付け親にもなったそうなのである。

 

 

三島が自衛隊市ヶ谷駐屯地にて、森田必勝を介錯人として自決したのが、昭和45(1970)年11月25日。

頭が良すぎる人は、しばしば狂った行動をおかす。

ともあれ、三島の自決後40年にあたる平成22年11月25日に、この清明社を建立した、という説明だ。

 

三島の「楯の会」がかつてこの神社の社務所で会合を開いていたことがあり、そのゆかりの品が社務所に残されている。これは随分前、特別に見せてもらった。

 

ついでだが、この神社にはかつて貝塚があった。

 

 

弥生時代末期から古墳時代のものが良好に残されていて、貴重な遺跡だったようだ。

 

三島の割腹自殺の件も、もう50年以上前のこととなった。ますます風化されていくのだろうな。