子供の頃、クラスに一人か二人は、周囲に比べて変わった子がいた。
じっと座っていられず、教室内を立ち歩く子。文字の読み書きが全然できなくて、国語の教科書を読むよう指名されても固まってしまう子。
私が3年生まで通っていた小学校は、当時、新規に大開発した公団の子供たちが通う為、急きょ建設された小学校で、もう先生のレベルも低かったのに、1クラスに45人は詰め込まれ、行き届いた教育なんかされていなかったなあ。
養護(のちの特別支援)学級なんかもなかったから、そういう子たちは、普通クラスに押し込まれ、個別な指導を受けると言うこともなかった。
というか、当時は、「発達障害」なんて言葉はなかったから、変わった子、読み書きが苦手な子、とかいうイメージだけ受けて、そのままにされていたと思う。
今は「発達障害」という言葉が広く行き渡って、幼稚園、保育園の先生が発見し、保護者に、専門機関への受診を勧める時代になったようだ。
ADHDやLDといった言葉も広く知られるようになった。
私の場合だが、「みんなで一緒に何かする」ということが、幼児の頃から死ぬほど苦痛だった。
幼稚園とか小学校なんて、「みんなで一緒に何かする」ことが、子供にはとても楽しいことだという前提があるらしい。お遊戯、合唱、お遊び、遠足、または町の子供会、etc。しかし、私は、お遊戯なんかしているより、人で本を読んでいる方がずっと好きだったし、遠足なんかも大の苦手。わあわあ泣いて、一人でみんなから離れて母と弁当を食べたこともあった。町内の子供会も大嫌いだった。
こういうのも、発達障害なんだろうか?
アメリカ人旦那は、私のことを、
「You are very unsocial」
と批判するけど、仕方が無いでしょ。
私のこの性質は、ほぼ狂人だった祖母の性格を色濃く引いてしまったとしか考えられない部分もある。
祖母は死ぬまで、自分が誰よりもあがめられなければ気が済まず、誰とも融和しようとしなかった。
一言で言えば「ただの田舎者の婆さんなのに、お前は何様のつもりなんだ」というクソババアだった。
こんな血を引いた子供を産む両親もどうかと思うんだけど、昔の人はそこまで考えなかったからなあ。
成長するにつれ、苦労して性格を補正することもそれなりにやってきたけど、「正常」と「障害」のボーダーってどこにあるんだろう?
いっそのこと、グレーの判定を受けた方が腑に落ちるようにも思う。