「平等化」とはつまり「劣化」と「少子化」をもたらす

世の中、なんでも「平等」が良い、とされている。

が、同じでないもの、異質なものは、平等になりえない。

男と女。黒人と白人。日本人と外国人。

どれも違うのだから、平等にはなりえない。

 

戦後の日本では、憲法上、男女平等となった。

これはつまり「女子を男子の地位に上げる」ことであって、「男子を女子の地位に下げる」ことではない。

「女の子だから」と言って、できない、やれないことをなくすことが平等化の基本である。

テストも、就職も、資格試験も、みな男女の差を設けずにさせることになった。事実、男女ではなく、能力の有無で就職ができるようになってから、男性にも大量に非正規雇用が増えた。

仕事をするような年齢になったら、結婚出産がかかってくる。

妊娠出産は、女にしか出来ない。それは仕方ない。しかし、家事と育児という、かつては男性が絶対しなかった域に、男性はまだ降りてこない。女性は男性ばかりがしていた職業という域にごく自然に上がっていったけど、男性は女性のしていた域に下がってこない。

だから、その結果、女性ばかりがワンオペできりきり舞いし、産んでもせいぜい一人になってしまった。ネットを見ると、家事育児に全く非協力的で、妻をイライラカリカリさせている夫のネタはいくらでも出てくる。そして、仕事にできる、優秀なDNAを持つ女性たちは、出産より仕事に邁進している。事実、子供がいる女性には到底出来ないような仕事も多い。

子供をぼこぼこ産むのは、あまりあとさき考えず、勉強が苦手だけど下半身は発達しているような女性が多いと思う。

生活保護に頼って、父親の異なる子を3人産んでいた女性もいたし、シェルターに避難してきた某19歳の女性は、まだ19なのに二人目の子供を妊娠していた。

昔は女性なら結婚するしか生きていく道がなかったので、どんな優秀なDNAを持つ人でも、主婦になって、とにかく子供を産んだ。だから、聡明かつ健康な日本人が増えた。

しかし、昨今はそうではない。

男女平等にした結果、日本人の質が先行き劣化していくのを懸念しているのは私だけだろうか。

10代の母とか、生活保護とか、あとさき考えず、ぼこぼこ生まれてきた子の先々を懸念しているのは私だけだろうか。

男たちがしてきた「仕事」という域に女性が上がっても、女たちがしてきた「家事育児」に男たちが降りてこない限り、いくら国や行政が旗振っても、子供が増えるわけはない。

おまけに、女性に限らず男性の非正規も増えた。昔はどんなに仕事のできないおっさん社員にも、「資料室」「社史編纂室」という囲い部屋があって、定年まで正社員として雇ってくれていた。そんなおっさんたちにも、なぜか必ず妻と子供が2~3人いたっけ。「あの人の奥さん、顔見てみたいよね」と陰で言われていたおっさん社員たち。

いまではありえない話。