亀さんは賢い! (ショート動画)

30秒くらいの動画です。

亀ってこんな賢くて、こんなチームワークまで出来るんだ。びっくり。

 

 

へえ~~、へえ~~。

 

そもそも、亀さんって、ひっくり返ってしまったら、誰かに起こしてもらわない限り、4んでしまうのだろうね。

それを本能的に分かっているから、亀さんたちは救助に向かうんだ。

亀を見直した。

エリザベス女王の葬儀

昨夜、エリザベス二世女王陛下の葬儀が中継された。

うちのアメリカ人旦那は英王室に「みじんも興味が無い」と言うが、こういう荘厳な葬儀など、滅多にない。もう二度と見られないかもしれない・・・あ、現在73歳の新国王のそれがおがめるかなあ?おっとっと、失礼。

 

こういう光景を見るにつけ、廃止論もある王室(皇室)でもあるけれど、存在自体はあって良いのかもしれない。現に日本の皇室だって、天皇の国事行為として、

「外国の大使・公使の接受」

「儀式を行うこと」

もある。もちろん、詳細なセッティング自体は天皇自ら行うわけではないけれど、天皇が儀式の総支配人として存在するのは、諸外国、とりわけ王室を持たない国に、それなりの伝統や重さ、形を感じてもらえるかと思う。

 

女王の4人の子供たちのうち、何かと問題を起こしているアンドリュー王子は軍服を着ていなかった。女性のアン王女ですら軍服姿だったのに。アンドリュー王子は離婚後、再婚もしていないので、配偶者なく一人で棺のあとを歩いていたけど、なんかちょっと悲しい。孫のヘンリーCHIMPO王子も、兄と違って軍服を着ていなかった。

 

NHKは、葬儀の中継後、「英国王のスピーチ」という映画を放送した。これは女王の父上であるジョージ6世を描いたものである。ジョージ6世は、吃音(どもり)で苦しんでいた。そもそも、次男であったため、王位に就く予定がなかったところ、兄のエドワードが、離婚歴のあるアメリカ人女性と結婚することを選び、王位を捨てたため、王位に就かされるはめになった。吃音のため、人前で話すという王の役目がどれほど嫌いだったか。その後の必死の訓練で克服したようだが、妃のエリザベス(女王の母上)の支えもあってのことだろう。

 

もし、兄エドワードが普通に結婚し、子供をもうけていたら、エリザベス2世女王はこの世に存在しなかった。その、存在しなかったはずの女王が70年の長きにわたり君臨していたのだから、歴史はわからない。

 

ジョージ6世の父、つまりエリザベス女王にとっておじいさまのジョージ5世は、母方のいとこであるロシア皇帝ニコライ2世と激似である(Wikipedia参照 )。いくらいとこと言っても、そこまで似るか?レベル。当時は、各国王室とも、王室同士の血族結婚が常だったので、みんなああいう顔になったのかな。

 

エリザベス女王の母上のエリザベス王太后は、101歳の天寿を全うしているので、長命の家柄なのだろうか、と思ったら、そういえばエリザベス女王には妹のマーガレット王女がいたはず。すでに亡くなっているが、Wikiを見てびっくりしたのは、アン王女とそっくりなこと。叔母と姪だから似ても全然不思議ではないのだが、やっぱりヨーロッパの王室の方々って、そういう系の顔立ちになるのだろう。

 

さてと、日本の皇后は雅子さまだけど、いまだあの人を「小和田さん」と呼びたくなる私。皇后さまって感じがしない。

今回の葬儀でも、レセプションを欠席し、天皇ひとりで会場に入っていく姿が映された。ついでだけど、その後ろは、うるわしのブータン国王夫妻だった。雅子さまは、いつまで、お病気が治らないのかなあ。こういう外交の場に出たくて皇室に嫁いだのではなかったの?

 

勾玉(まがたま)

私は前世にどこかのお姫様だったので(笑笑笑)、

「古墳を見ること」

「お城を見ること」

「日本庭園を見ること」

が、こよなく好きである。

先日、普段ろくに読まない新聞(デジタル版)の「東京都欄」をざざーっと斜め読みしていたら、

「勾玉展」(まがたまてん)

という文字が引っかかった。

 

場所は、東京都大田区の郷土博物館である。

あんな行きにくい場所にあんな博物館(と言っても小ちゃい)があるなんて、全然知らなかった。

 

 

 

勾玉・・・・

なんて不思議な形状をしているものだろう。

 

 

こんな形状になっている理由は、誰にもわからない。いくつか説があるが、私は、「胎児の形」説を支持している。ごくごく早期のうちに、命として成熟することなく胎内を降りてしまった胎児に、古代人が特別なものを感じていたとしても不思議ではなかろう。でなければ、ここまで力をそそいでこんな玉を作ろうと思わないのではないか。

 

勾玉の素材は、メノウ、コハク、碧玉、そしてまれにガラスまであることを知った。埴輪を見ると、勾玉は、ネックレスやブレスレットなど、装飾品として使われていたのがわかる。

大きさは、ほんの1cm未満から、数センチまで。これらを、古墳時代(3世紀から6世紀ごろ)の人々は、どうやって、そういった硬い材質を、こんな「C」の形に磨き、しかも、こんな小さな穴まで開けられたのだろう。古代の技術は、ミステリーに満ちている。古代人は、もちろん現代人のような科学や機械は持っておらず、すべて手作業に頼っていたけれど、人としての基本的なスキル面では、現代に比しても何ら劣ったところはなかったと感じる。

宗教と政治活動に関する米子市長のコメント

ワイドショーなんて見ないけれど、相変わらず「統一教会」の話題に時間が割かれているのだろう。

安倍元総理が銃撃されて以来、統一教会=悪、という見方が固定し、さらには、政府与党の中に、統一教会へ祝電を出すとか、会合へ出席するなど、なんらかの形でかかわりがあった議員へのあぶりだしも行われた。

 

 

これもまた「かかわりを持った=悪」の見方に近い。しかし、日本国憲法第20条では、信教の自由を認めているし、また、21条では、集会、結社、言論などの自由も認めている。従って、統一協会員だから来るな、あっち行けとは(公には)言えないし、統一教会員だからといって政治活動をするなとか、政治家とかかわりを持つな、とも言えない。逆に、政治家の方からしたら、統一協会員だからお断り、といった行動をとれば、宗教による差別とも取られかねない。それに、政治家とて、どんな1票でも欲しい。この票は統一教会員の票で、この票はそうでない、と、投票用紙に色付けされているわけでもないので、その区別自体、そもそも不可能である。

まあ~、宗教家や宗教団体って、売名と権力を狙って政治にかかわりたがるよね。オウムもあったし、幸福なんとか党もあるし、なによりも、自民党ではない方の与党を見るがいい。

 

この統一教会系列の会合に出席したことで、批判を受けた、米子市長の伊木隆司市長のおことばが、大変すっきりわかりやすいので、記録代わりにここに書いておくことにした。

 

1.思想信条がどうであろうと、市民であれば話を聞く

2.悪質な商法が問題ならば、消費者契約法で対応する

3.過去の犯罪歴だけで差別しない

4.現時点で国政や警察で何らの措置が執られていない以上、集会出席は問題ない

 

納得の見解である。つまり、国会議員や地方議員などは、基本、関わり合う相手(有権者)を選べないのである。

明確な拒否事由がない以上は、かかわりを拒絶できない。拒絶は差別とも取られる。

肝要なのは、宗教団体に関わられても、彼らのみを特別扱いしたり、特権や例外措置を与えたりしないことだ。


それにしても、統一教会ばかり叩くが、与党のもう一方の宗教団体の是非については誰も議論できないのだろうか。あの宗教団体をカルトに指定している国も海外には複数あるというのに。あの党も、「早くこの問題、ほとぼりが冷めないかなあ~」とヒヤヒヤしているか、うっとうしく思っているか、と

電車賃はもう少し値上げすべきでは?

公共交通機関のないところに生活している人たちって、裕福なのだろうか?

 

とんちんかんなことを書いているようだが、マジでわからないのだ。私にとって、出かける、ということは、徒歩、電車(地下鉄)、バスを使って移動することであって、たまにタクシーも使う。都会では、車を買って持っているより、タクシーを使う方がはるかに安い。ケンミンショーを見ていたら、群馬県民が「群馬県民、歩くのが嫌いだから」と、たった徒歩5分の距離にも車で来ているのを見て、ぶったまげた。

 

公共交通機関のないところだと、一家に一台、どころか、一人一台で車を持っているところもザラだろう。

となると、一台100万円、200万円かそれ以上もかかる車を何台も買い、駐車場代は都会のようにはかからないだろうけど、税金、車検、その他の維持費、さらには、昨今のこの事情だから、ばか高いガソリン代も払っている。

それでも毎日運転して出歩いているんだから、それら費用をまかなえるってことは。都会人より裕福なの?

住宅価格は都会ほど高くないのかも知れないけど、車に関するもろもろの費用をどうまかなっているのだろうか? そんな高収入なの?

 

最近、鉄道会社が、運賃に「時間差制」「季節制」などを用いることを検討しだした、という。

 

 

ほとんどの乗客が磁気カードで乗るようになったので、鉄道会社側で設定すれば、これらのような細かく異なる料金徴収も可能だろう。技術の発達のたまものだ。

それにしても、電車の運賃は安い。たとえば、東横線なら、うちの最寄り駅から横浜駅まで、たったの126円である。

JRだと最低料金は136円、かな。

こんな安い値段で、世界一正確かつ安全に運んでくれる鉄道会社。電車がないと生きていけない私、もう少し値上げしても良いように思う。

8月29日、東京メトロの駅で、撮り鉄が脚立を立てて、駅員ともめた動画が公開されたが、ああいうバカと対抗するために、警備費用に充当してくれても良い。

 

 

 

安倍元総理の国葬儀

9月27日は、武道館への一般弔問客の来場は禁止されているけれど、その代わりに、近くの九段坂公園に、献花台が設けられることになった、と聞いた。

一瞬、お花を持って行こうかな、と思った。

しかし、いつも書いているとおり、実物のお花を持っていくと、誰かがあとで片付ける手間と経費がかかってしまうのだ。

花だって、黙って消えてくれるわけではない。

その点、デジタル献花を考え出した人、良いアイデアだと思う。

まだ考え中だけど、これは例外的に行ってみても良いかな。それとも私などの雑魚が行ってもしょうが無いからやめとこうかな。

 

辻本とか蓮舫が、招待状をtwitterにさらして「行かない」とわめいているのは広く知られている。

彼女らには、ただ国会議員だというだけで招待状が来たのである。もし、安倍家が個人的にこの葬儀を主催するとしたら、絶対に招待なんぞしない。安倍総理だって、来て欲しくないはずだから、どうぞ欠席してください。来ると汚らわしい。

しかし、宮本亜門とかいう男も、同様の行為をtwitterにさらしている。

 

 

何かの間違いだったら、黙って無視すれば良いだけの話だ。しかもこの人、自分の芸名を最近、「亜」の字の真ん中が空っぽな字体に変更したのに、間違えて書いている、とお怒りだ。しっかし、こんな人物ひとりの芸名の改名を、政府関係者までもれなく知っているはずと考えたら、相当うぬぼれている。むしろ、そんなちっぽけな改名なんて知られているはずもない、と謙虚に考えるべきであろう。

 

47都道府県知事にも招待状が出たようだ。うち、3知事は欠席するそうだ。長野県知事は、2014年9月27日の御嶽山噴火の慰霊祭が行われるため、欠席する。それは、仕方ない。

しかし、欠席を表明した残り2知事は、「静岡県」と「沖縄県」だと。なんと香ばしいお二方。

ストレスアクセント(英語)とピッチアクセント(日本語)

私はどうしても、「要らない」「不要です」という意味で「大丈夫です」という日本語が嫌いで仕方ない。

今時どこの店のレジでも「レジ袋どうしますか?」と尋ねられるようになった。

しかし、袋を持っているときに、

「大丈夫です」

と答える客のなんと多いこと。

私はむずむずむず~っとする。

これは「袋を持っていますので、いただかなくても大丈夫です」という趣意の、「袋を~ても」まで略した物だと解しているけど、ほんと「何が、『袋大丈夫』だよ」と思ってしまう。

私は「袋、あります」「袋、持っています」「袋、不要です」などと答えるのだが、「不要です」と答えると、レジさんによって、たまに「へっ?」という顔をされたりする。なので、発語のついでに、手のひらを左右に振って「要らない」ポーズをしながら言ったりする。はあ、めんどうくさい時代になった。

C国からきた留学生の子が、この「大丈夫」を「不要」という意味だと理解し、下宿先で「納豆、大丈夫です」と、大嫌いな納豆を断っているにもかかわらず、下宿のお母さんが、「私は納豆を食べることができる」と言っていると解し、毎日のように出してくるので、泣いてしまった、という話も聞いた。

 

さて、この「大丈夫」も一例だが、日本語って、同じ単語で、反対の意味を持っているものが複数あって、日本語を母国語とする私であっても、この曖昧さには時に腹が立つ。

「いいです」「結構です」

もその例。「OK」と「不要」という意味が同時に存在するなんて。文脈とか、相手の顔、態度、言い方から推測するしか意味が取れないではないか。なんだこりゃ。

 

 

さて、話は英語ネタにそれる。

ガイジンの発音を日本人がまねるとき、

「私は大阪に行きました」

というような文を、おおげさに抑揚を付け、

「ワッタ~~~シュワァァァァ、オッサ~~~カニィィィ、イキマ~~~シタァァ」

と言ったりする。陳腐だけど、英語のアクセントが「強弱」なのだから、こんなふうに揶揄されてしまう。

これに対し、日本語のアクセントは、「ピッチ」(音の高低)である。

英語の勉強のために、とあるYou Tubeを見ていたときのこと。妙に日本語が上手な英語nativeのガイジンらが出てきて指摘したことなのだが、私もこれまで意識したことがない点で、ドキッとした。

 

「花」と「鼻」は、まあ、日本人がこれら漢字だけを読めば、発音は同じであろう。

しかし、何か付属して発音すると、アクセントが変わるのだ。たとえば、

「大きな花」「大きな鼻」

「花を買う」「鼻をかむ」

と発音したどうなるか、試していただきたい。「花」のときはアクセントが下から上に「↗」で、「鼻」のときは平音「↔」に近くないか。

我々日本人は、こういった発音の区別を、生まれたときから聞いているので、ごく自然にできる。

しかし、外国人がこの差を学ぶとしたら、どれほど至難か。

うちのアメリカ人旦那は、そこそこできているようだ。これってすごいことなんだ。目からうろこ。