日本語と支那語と英語

この間ある文章を読んでいたら、

「陋劣」

という単語に出くわした。まこと日本語とは、何歳になっても見知らぬ単語と出会う。

でも、見た感触から、とってもイヤで劣ったことを指しているにおいはビンビン伝わってきた。

漢和辞典で調べたら、読みは「ロウレツ」で、果たして意味は「下劣、卑劣、卑しくて劣る」ということであった。

 

ほんと、表意文字っていいなあ。見ただけでそれなりに意味が取れるんだから。

世界でもほぼ日本人、台湾人、支那人だけの特権ではないだろうか。

だって、アルファベットの単語じゃ、例えば、

「pneumonia」

とか

「entrepreneur」

なんて、見ただけではパッと意味は取れない。もちろん、それなりに接頭語接尾語の歴史を知っていたら意味は取れる場合も多々あるけれど、英語は、フランス語やラテン語等、さまざまな外国語が混ざり合っているから、一筋縄ではいかない。ちなみに、上の2英単語は、それぞれ「肺炎」と「企業家」という意味だけど、いま話題の「肺炎」だと、漢字ならぱっと見で「肺の炎症」だとわかる。誰でもわかる。

 

うちの旦那は幸いなる例外だけど、英語話者って、あんまり外国語を熱心に勉強しない。学校ではフランス語やスペイン語を基本習うらしいが、それらを母国語とする人たちと通訳なしで最低限の会話ができるレベルの人なんてどれほどいるのだろうか。ヨーロッパの言葉は根が似ていて、「主語+述語、目的語」の文法の並びは同じなのだから、彼らが話す言葉に互いの外国語の単語を並べればそこそこ会話はなり立つ、という。それであっても、英語話者で、外国語が一通り話せる人ってどのくらいいるのかな。私なんてアメリカに行くと、当然といえば当然だけど、みな私には当然のごとく英語で(容赦なく)話しかけて来る。

「日本人が英語を話すってとても大変なのよ。文字も文法も全部違うし」

と言っても、英語話者らは「ふーん」としか反応しない。

そもそも、英語話者らは、海外に手紙、文書を出すとき、「相手方の国の言語に訳して送ろう」と言う発想がみじんもないのは、正直アタマに来る態度である。旦那だけでなくとも、彼らは「英語は世界共通語だから」と言う。フランス人やドイツ人だったら、おそらく、少なくとも、英語には訳して送るのではないか。

 

私の知り合いで、MBAを取った人がいるのだが、その人が行っていた学校に来ていた支那人の生徒らは、

「これから、支那が世界の中心になっていくのだから、世界の中心言語も、英語から支那語にかわるべき」

ということを平然と語った、と聞いて、ぶったまげると同時に、さすがにそりゃ無茶な、と思った。

いくら支那が世界の中心に躍り出ようとしても、あの発音と漢字の言語のままでは、絶対、広まらない。

日本も明治のころ協議したそうだが、「言語の完全アルファベット化」を、支那でも検討した(している)らしい。

それでも、絶対無理だって。

私は大学時代、第二外国語支那語を専攻したのだが、アルファベットで振られた発音記号だけ見たって、その通りには読めないし、読めたとしても、意味は取れないことはよーくわかっているから。漢字の力に依拠している言葉を無理やり表音文字に切り替えると、K国のように古文書も読めなくなるし、意味もかなり取れなくなる。

とにかく、言語は支那最大のネックの一つであろう。それを思うと、ちょっとヒヒヒだ。

支那のビジネスマンや外資系企業の社員が、名前だけ「ジャック・マー」だの「ビビアン・タン」だのと名乗っているのは、滑稽である。

 

蛇足だけど、先日、New Yorkに行ったとき、チャイナタウンの支那語の看板の意味を、私がRita Billなどの英語話者らに説明したら、彼らはびっくりしていた。、

「発音は全然違うけど、意味は取れるのよ」

と説明しても、信じられない様子だった。