断捨離 人は物を残さない方がいい

引き続き、実家のブツの断捨離中である。

写真をどうしようか、と思っている。アルバムが何冊もあるが、皆さんどうしているのだろう。

写真、って、昔、フィルムで撮影し、写真屋さんで現像しなければ見ることができなかった。

いずれも安い物ではなかったから、どんなピンボケ、駄作写真でも、セメダインなどでしっかり台紙に貼り付けられ、沢山保存されている。今の時代なら、速攻で削除しそうな写真であっても。

しかし、もう見返すこともほとんどなくなってしまった。見ても、わからない写真も大量にある。

 

父が個人的に作った記録も大量に出てきた。

10代の頃、満州にいて、そこで青春の思いを几帳面な文字でつづったノート。読もうとしたが、支離滅裂というか、fairy tale (おとぎ話)の羅列のようで、シュレッダーにかけさせてもらった。

Wordで数百ページにも及ぶ自分史も出てきた。ちらっとだけ見たら、いつも通り新潟弁丸出しで、「い」と「え」を逆に書いている。また、若い頃の、母との性生活について触れた箇所が目に留まってしまった。いくら自分がこういう行為の結果生まれてきたとはいえ、子として、親の性についてあまり知りたいと思わないのは、私だけだろうか。これは、いつか時期を見て読むべきなのか、シュレッダーして良いのだろうか。

 

父の小学校時の通知表も出てきた。ど田舎の分校とはいえ、級長を務めたらしい。地頭は悪くなかったのだろうが、実母に産み捨てにされ、まともな親の愛を受けず、ひねくれて育ってしまった。その悪影響は死ぬまで及んだ。

 

会社の勤続表彰状、囲碁大会での表彰状、昔の給与明細一覧、等々。

 

悪いけど、シュレッダー処分させてもらった。

父と仲が悪かったこともあり、未練がなかったこともあるが、残しても後々、誰も見る人がいない。

人間、死んだらさっさと忘れ去られて良いのだ、と思った。皇族や有名人でもない限り、自分史などという余計なものは残さないことだとも悟った。どうしても書きたいと思ったら、今の時代ならPCに保存。紙に出してはいけない。とにかく、人間、高齢になってきたら、身辺の物は徐々に捨てていくこと。

 

そういえば、今日は父の命日だ。