東大とクソババアの思い出

おそらく、両親から「東大医学部に行け」と言われ続け、本人もそのつもりで勉強を続けてきたのに、成績が落ちてきたからと言って、東大の前で受験生2名ともう一人を切りつけた高校2年生。

医者になるんだったら、何も、超が付く秀才中の秀才が集まる東大理Ⅲでなくても、ほかに医学部の選択肢はいくらでもあっただろうに。ましてや、たまたま東大で共通試験を受けに来ただけの赤の他人を切りつけたって、何もならない。言語道断。

親を困らせてやりたかったのかもしれないが、これでこの子は人生を棒に振ってしまったな。しかし、少年審判だから法廷は非公開だ。どういう処分が下されるやら。

 

私の兄は、地方の高校から東大に現役で入ったけど、東大に入るような人って言うのは、もともと、テストを受けるテクニックが凡人とはかけ離れているし、勉強することが苦ではない人なんだ、ということが、幼いながらも私にはわかった。地頭の良い人っていうのは生まれながらに違うのだ。同じ東大でも、10浪くらいして入る人と、現役で大して苦労せず入る人って言うのは、ほんと違うよ。

その兄が、東大1年のとき、「数学で追試になった」と、その当時親が転勤のために住んでいた仙台に、問題集とテストを持ち帰り、夏休み中、ウンウン言いながら追試の勉強をしていたのを覚えている。あれほど数学が得意だった兄が、ショックでしおれていた。兄だって、東大に入ったら、そりゃ、周りは、全国選りすぐりの、きら星みたいな生徒ばかり集まっているわけだから、自分だけが秀才なわけではなかったのだから。あの高校2年生くんも、他の医学部に目をやればよかったのに。下手に(と言うのもナンだが)、東大理Ⅲに入ってしまったとしたら、あまりの秀才天才の集まりに埋もれ、果ては落ちこぼれて、良くて中退か、最悪●殺したかもしれないよ。

 

東大、で、つい思い出してしまうのは、あまりの狂人ぶりに、親戚のすべてに嫌われまくっていた、父方の祖母のことだ。

この祖母の異常さは筆舌に尽くしがたく、本を書いたら10冊くらいになるかもしれない。

ろくに教育も受けていなかったただババアだったのに、プライドの高さはなぜかエベレスト並み。また、怒るために生まれてきたようなクソババアで、一度、新聞配達が入れ忘れたとか、レジがおつりを間違えた、とかがあったりしたら、ヒマなのも手伝って、5年でも10年でも、同じネタで怒り続けていた。ババアが怒るさまは、まるでライオンのようだった。

「この気性は治らないから」

と自分でも言っていたが、治すんだったら50年前から治せよ、と思っていたけど、だれも言わなかった。

みんなから嫌われ、実の息子である我が父をほとんど私生児で産んだあと、新潟の実家に預けっぱなしだったから、母子としての情も全くなく、息子も孫も愛さない、とにかく異常なババアだった。私の周りに、「私、おばあちゃんに可愛がられたの」という人がいたりすると、私は、「世間のおばあちゃんって、孫を可愛がるものなの?」と驚いたほどだ。何があっても自分を優先順位No.1にされないと、烈火のごとく怒るクソババアだった。

前置きが長くなった(←これでもこのクソババアのクソババアぶりのほんの1兆分の1くらいしか書いていない)。

 

その嫌われババアは、東京の下町でずーっと一人暮らしをしていたのだが、体の不調があると、老人パスを駆使して、バスを乗り継ぎ、

 

東大病院

 

まで行っていたのだ。

「この辺の医者じゃ、あてにならない」

というのがクソババアの言い分だった(←おまえは何様だ、っていう言葉も通じなかったババア)。

「東大病院は、奇病とか重病とかで、紹介状をもらっていくところで、普通の病人が行くところじゃないんだ」

と、両親が何遍話しても、ガンとして聞き入れなかった。自分を診るのは東大しかないと信じ込んでいた。

ある時、頭痛がするので、ババアはまた東大病院に行った。そうしたら、原因は、

「耳くそがたまっていたせい」

で、東大の先生が、クソババアの耳くそを取り、それで治療は完了。

あの時、クソババアの耳くそを取らせてしまった東大の先生、ゴメンナサイ。