「刺身をパックのママ出していいかどうか」論争

表題の件が、ネット上で議論されている。

事の次第は、妻がデパ地下から買ってきた刺身を、そのまんま食卓に出したら、旦那さんの方が不機嫌になり、

「これじゃあ結婚した意味が無い」

とホンネを言った、ということだ。

旦那さんの気持ちもわかる。きっとお母さんが完璧な主婦で、刺身は絶対皿に移して出してもらっていたのだろう。

 

最近の刺身のパックは、昔の白一色の発泡スチロールのトレイと違い、かなり美的な模様が印刷されている。

大根を細く切ったツマ(多分アレは機械でやっているのでしょ?)もきれいに盛られている。デパ地下のでもあるし、パックのまま出す気持ちはわからんでもない。ヘタに移したら、盛り付けが崩れてしまうし。

 

私自身は、古い、古ーい母に育てられたので、そんなことやったら「女として終わり」くらいにしつけられたし、今でも正直、そういう気持ちが拭えない。昔、強い影響を受けた桐島洋子さんの著書「聡明な女は料理がうまい」でも、

「できあいで歩む女の堕落の道」

という節に、桐島氏自身もたまにできあいの惣菜を利用するけれど、これをいつもやっていたらたちまち堕落する、と自らを戒めると書いてあった。いつも弁当を買ってきて、TVの前にどっかり座りこむようになると、その人は確実に堕落の道を歩み始めている、と、買ってきたものをそのまま食べることを強く嫌っていた。

ただ、今の時代でここまで言う女性評論家もいないだろう。

 

でも、ね、皿に移したほうがより良いのはわかっているけど、洗う皿がもう1枚増えてしまうではないか。

少なくともこの旦那さんは、皿洗い係ではないことは明白。

実は私も、最近、料理ごとに出る皿とか鍋を洗うのがおっくうになってきて仕方が無いのだ。

家族が多いわけでもないのに。食器洗い機を置くスペースはない。

 

ところで、話がそれるけど、私がネットで見ていて一番怒髪天を突く夫たちの発言が、

「簡単なモノでいいよ」

である。コレを言われたら、

「そんなら、おのれが作ればいいだろ~~~~っ!!」

って、鍋釜投げつけたくなる。

しかし、夫たちはこの妻の反応を理解できない。簡単なモノでいいよ、と、思い切り気を遣って優しく言ってやっているつもりなのに、なぜ妻は怒るのか、理解できない。

 

こんな時、妻は、マジで、冷凍ご飯をチンしてふりかけと出したり、パン1枚だけ出してみて、夫の反応を伺った方がいいだろう。

「え~~、なんだよ、こんなものしか無いのかよ」

と言ったら、妻には脳天かち割られても仕方ないだろう。

簡単なものでいいなら、夫たちは自分で作るべきである。

自分で作ら(れ)ないのなら、簡単なものでいいよ、とは言ってはいけない

 

「夫に、『簡単なものでいい』と言われて腹が立った。その簡単なものというのが『たとえば、カレーとか』」というネット上の書き込みに、私は大いに賛同してしまったことがある。

夫は、家にいつも人参・玉ねぎ・肉・じゃがいも・カレールーが必要十分な量そろっていると思っているのだろうか?

これから刻んで煮て、となると、あと1時間はかかることも知らないのか?

そういったことを私がコメント欄に書き込みしたら、それに反論があって、

「カレーは、小学校の家庭科の教科書に出ているくらいの簡単な料理だ。お前は何を言っている」

と書かれた。

激バカめ~~~!! そういう技術的なことを言っているんじゃない!