他人の幸せを祝えるか否か

向田邦子さんのエッセイ「直木台風」を読んだ。向田さんが直木賞を受賞なさったのが1980年で、そのエッセイも同年の8月に書かれている。余談だが、そのちょうど1年後、向田さんは天国に召された。そんな運命が待っていることを、彼女自身を含め、誰も知るよしもなかった。

 

そのエッセイの冒頭は、直木賞受賞が決定した彼女が、知らぬ男と女からの「直木賞受賞辞退」を迫る電話攻撃を受けるところから始まる。

最初の男は、非常識にも、早朝6時ころに掛けてきた。男は、

「自分はこの20年以上文学に打ち込んできた。女房も子供もあらゆるものを犠牲にしてきた。行き詰まって自殺した文学仲間もいる。それなのに、よその世界で少し名が売れているからといって、簡単に賞をやる審査員も審査員だ、即刻辞退せよ」

と、まくしてたというのである。

いやはや、なんともひどいねたみ、そねみ、ひがみである。確かに向田さんは脚本家として既に著名であったが、だからといって直木賞の受賞は彼女の文章が優れていただけである。それに加え、このひがみ男が妻もめとらず、20年以上も受賞に縁が無い生活をしているからといって、それは向田さんには微塵も責任のないことなのに、なぜ「賞を辞退せよ」なんて言えるのだろう?

もう一人、知らぬ女からも電話がかかってきて、「あなたが書いているのは中年女のヒステリーだ」とかいって賞の辞退を勧めたそうだけど、世の中、まったく、関係もないくせに、人の幸福にケチをつけたい人はいるんだなあ。

 

しかし、なぜ彼や彼女は向田さん個人の電話番号を知っていたのだろう?

当時はまだ、電話は、電電公社に頼んで、さんざん待って引くものだった。ひょっとして電話帳に載せていたのだろうか?

それとも、両名とも、赤の他人の振りをしながら、実は業界関係者で、向田さんの電話番号を知り得る職種にあったのか。

 

少しだけ、私なりに同情というか、その気持ちを察する部分があるとすれば、人の幸せを素直に喜ぶには、年季がいる、ということだ。

私なんて、手相の占いさんに、

「あなた、よくこんな手相で一度でも結婚できましたね。信じられません」

と驚かれるほど、男性関係に薄い人生を送ってきた。

転校した田舎の芋女子校がいやでいやで、男の子が多い大学の学部を選んで東京に来たのに、こんな田舎育ちのデブ芋ブス娘が、都会育ちのお嬢さんがいならぶ世界に太刀打ちできるわけがなかった。周りの女子たちが次々に彼を作ろうと、私には縁の無い世界だった。

その後、社会人となり、それなりにもまれながら生きてきたけど、結婚適齢期になっても相手がなかなか見つからなかった。周囲がどんどん結婚しだして、結婚式の話とか、彼ののろけなどあれこれ、「わざとらしく」ぶつけて来られたのは、ほんとうにいやだったし、反応に困った。

 

他人の幸せな話を聞いて、素直に「おめでとう」と喜べるまでには、自分も結婚する必要があったし、社会に出てそれなりにキャリアや人生経験を詰む必要もあった。今では、自分以外の人間はすべて、自分よりすぐれたものを持っていると悟っているので、彼ら彼女らの幸せや功績を素直にほめることに、なんのためらいもない。年取って、良かったことの一つだ。

若い頃の教訓として、自分の自慢話、のろけ話などは、よほど相手がそれに耐える人だと判断しない限り、しないことにしている。逆に、失敗談は進んでしている。