機能美

夏は、水泳を楽しむ季節だ。運動オンチの家系だが、長野の小学校でさんざん泳がされ、会得した。

長野県は「海なし県」と呼ばれるのをひどく嫌う。なので、どんな山奥の小中学校に行っても、プールがあり、死ぬほど泳がされたものだ。長野に転校していなかったら、水泳を好きになることはなかった。

 

先日、泳いでいたら、監視員さんから、

「フォームがきれいですね」

と褒められ、嬉しくなった。

他人が泳いでいる様子、特にクロールを見ていると、フォームが、とりわけ、息継ぎが「ありゃりゃ」と思う人がかなりいる。頭を垂直にがばっと水面から出して呼吸しているパターンが多いけど、あれでは体力の消耗も激しいし、スピードも出ず、機能的ではない。クロールのときは、軽く後ろを振り返る感じで頭を横に倒し、水に口が半分くらいつかっている状態で、その隙間からスッと呼吸をするのだ。

 

機能美、という言葉があるかどうか、とにかく、スポーツでもなんでも、機能的に一番理想的なものが、一番美しいらしい。

近い例で言えば、お箸の持ち方。一番美しい持ち方が、結局、一番使いやすく、食べやすい。

ゴルフなんて、プロと素人のフォームの美しさの違いは、素人の私でも一目瞭然だ。その他のスポーツや武道にも、「型」というものがあるのだろう。

 

さて、うちのアメリカ人旦那なのだが、彼は日本人と同様に箸を使える。新婚当時はガイジンに良くある通り、めちゃくちゃな持ち方をしていたのだが、私がしつけたら1週間でマスターした。今では、アメリカで食事をしていても「お箸が欲しい」と言い、ナイフとフォークを極力避けるほど箸を当たり前に使う。

 

しかし、箸が使えるから、といって、日本の日常の食事マナーも自然に会得するかどうか、は別問題だ。

 

例えばこの人、なぜか、長袖シャツの手首のボタン(カフス)を締めないことが自身のファッションだと思い込んでいるらしい。その結果、何が起こるかというと、食卓の醤油や味噌汁にシャツの手首をドボンと浸す事故である。

何遍言っても直さないし、言うと「うるさいなあ」と眉間にしわを寄せ、それで渋々カフスを締める。

 

また、私が身の毛がよだつほどキライなのが、「寄せ箸」。箸で食器をツツーッと自分の手元に引っ張ってくる行為である。

これは、「自分が世界一偉い」と威張りくさり、誰からも嫌われたまま一生をほぼ一人で過ごした亡祖母が良くやっていたクセなのだ。祖母は、他人と一緒に食卓を囲まずに日々を過ごしたから、人から注意を受けることがなかったのだろう。それを旦那がやるのだが、なぜこれが駄目なのかを理解しない、というか、私も「マナー違反だから」としか説明のしようが無い。