今日は8日15日。
靖國神社へ参拝してきた。
台風の影響の可能性で、雨が案じられたが、雨なんて一滴も降らず、いつも通りの酷暑となった。
9時40分に到着。まだ混んでいなかった。
↓ 神殿を正面から写真撮影して良いのはここまで。
いつも通り、若い人が多かった。若い人が多いのは安心する。私なんて若い頃、朝日新聞を読んでいたから、靖国神社は悪いところ、行ってはならないところだと思い込まされていたというのに。
↓ これは、参拝を追えたあと、神殿を横から撮影したもの。
本日、神殿に掲げられていた御製は、昭和天皇のものであった。
「国がらをただ守らむといばら道 すすみゆくともいくさとめけり」
と。31文字の外に、もっともっとおっしゃりたかったけれど、天皇というお立場上、言えない思いがさぞ山のようにおありだったと推測する。
78年以上前に、日本のために散華された英霊の皆様の御霊に感謝し、改めてご冥福をお祈りしてきた。
さらには、この甘ったるくだれきった日本を天からお守りください、と、両手をあわせて必死に祈った。
↓ 参拝を終えてご朱印をいただきに行くと、能楽堂の方に人だかりがしていた。見たら、10時から、英霊に感謝をささげるための、白鳩放鳥が行われることがわかった。
私はこの「靖国神社白鳩の会」の会員でもあり、毎年寄付をしている。が、実際に白鳩を放鳥する様子を見るのは初めてであった。
↓ お隣の、屋根の上に光る玉ねぎ。本日、戦没者追悼記念行事が行われる場所である。
今日は、台風の影響もなくて良かった。
しかし、内閣総理大臣が戦没者のために参拝できない国って一体なんだろう。朝日新聞がギャーギャーさわぎ出す前は、支那だって何も言わなかったのだ。つくづく朝日新聞は国の癌。
靖国の参道を、こんな大きな旗を持った一団が。なんだろうこの人たち。
敗戦国の君主は、大抵、亡命するか、自殺するか、戦勝国に命乞いに来るか、選択はその3つだと言われる。
昭和天皇がマッカーサーに面会に来たとき、マッカーサーは、当然、命乞いに来たに違いないと思って出迎えた。
ところが、昭和天皇は、マッカーサーの前にすっくとお立ちになり、
「今回の戦争の責任は、すべてこの私にある。皇室の財産はすべて没収しても良いので、国民の食糧を保証してやって欲しい」
と述べられた。
マッカーサーは、目の前に立つ、この、昭和天皇という男が、真の君主であることを見抜いた。
マッカーサーに会いに来るだけで、殺されてもおかしくない覚悟であっただろう。にもかかわらず、ひとかけらの私利私欲もなく、ただ国民のみを案じられた天皇。
この言葉がなかったら、マッカーサーと昭和天皇の2ショット写真は撮影されなかったに違いない。
会談後、マッカーサーは、予定にはなかったが、昭和天皇を玄関まで見送った。マッカーサーが昭和天皇にいかに感銘を受けたかを示すエピソードである。
その後、アメリカから、日本人の口に合わないなりに、日本へ脱脂粉乳などの食糧が送られたのは周知の事実である。
今の天皇は、その昭和天皇のお孫さんでありながら、皇太子時代、妃とともに、8月15日に、友人を呼んでバーベキューをして楽しんだことがあると聞いている。私が目撃したわけではないけれど、そんな話が流れるだけでも、TVなどで姿を見たところで、あの二人を天皇皇后としてあがめる気持ちにはどうしてもなれない。