「敬老の日」なんてもう廃止でいい

先日、親族の女性に会った。彼女は、複雑な一家に嫁いだ身として、長年苦労してきた人だ。

しかし、話していて「?」と思ったのは、かなりの頻度で、

「あれ、あれ、あれ」

とか、

「あの人なんだっけ、誰だっけ、あの、あの」

という発言が出たことだ。私はそのたび、推測して、「◎◎でしょう?」と言ってやると「そうそう、◎◎」と安心して話を続けるのだが、この「あれ、あれ」が頻発するって、不気味な予兆ではないかな。私の両親は二人ともボケたけど、「あれを、あれして」とか「あの人、なんだっけ、名前が出て来ない」という言葉は、滅多に聞かなかった。これって人によるのかな。

 

本日は、敬老の日。私が子供の時は9月15日に決まっていたけど、今では9月の第3月曜日になっている。

ともあれ、調査によると、日本の総人口(現在約1億2330万人くらい)のうち、

 

80歳以上が10%

65歳以上が29.1%

 

だそうだ。ひえ~~。

石を投げれば老人に当たる国、日本。

 

これとは別に、心配なことがある。

迷信でありながら、まだまだしぶとくささやかれる「ひのえうま(丙午)」伝説。

先の丙午は、1966年だった。しかし、次の丙午は、もうすぐそこ、2026年に巡ってくるのだ!

ということは、若いカップルでもまだ迷信をおそれ(←年取った親族がいまだ余計な茶々を入れるから)、2026年に子供を産み控えることが予想される。結果、この年の出生数は、一段と下がるであろう。

ここでガクっと下がってしまえば、それ以降、将来にわたる出生数にも、相当な影響をもたらしかねない。

 

今日、思ったのだが、「敬老の日」なんて、もう廃止してしまっていいのではないか。

誤解の無いように言っておくが、高齢者を敬うのをやめよう、という意味ではない。

かつてこの日が設けられたのは「数少ない」高齢者を敬う目的があったからだ。しかしもう、「数少な」くなどない。

高齢者も、可能な範囲内で、できるだけ働き続けることだ。

そうしないと国がもたない。

マクドナルドなど、朝起きるのが得意という高齢者の特質を生かし、朝マックの時間帯に、高齢者を積極的に採用しているという。とても良いことだ。

ただ引退し、敬われる存在から、普通の国民の一人として、可能な限り現役で働き続けること。

こういう啓蒙、方向転換のためにも、この祝日は「用済み」として廃止してしまって良い。

 

ついでに言うが、テレビもメディアも日本人全体も、「丙午」なんて廃語にすべきだ。