当たり前の人たちを一番大切に

なんだか、最高裁で狂ったような判決が出されているようだけど、私、見たくないので、しばらく目をそらすことにしている。

私が死ぬまで、なんとか日本がそこそこまともに存続していますように。死に逃げしたい。

 

一番大切なのは、生まれながらの男と生まれながらの女が、地味でもいいからこつこつ働き、出会い、合体して子供を作り、育て、教育して、納税して、死ぬことだ。しかし、そういう人たちはあまりにも多数で、あまりにも当たり前であるため、権利の主張をする余地というか、風習がない。

そうでない人たち、たとえば、体と心の性が合致しない、とか、男だけど男を、女だけど女を愛している、とか、働きもせず、納税もしないで「たまには鰻でも食べたい」などと元気にデモをする生活保護受給者とか、そういう、権利、権利、人権、人権とを声高に叫ぶ人たちが、ほんと、納得いかない。

 

私は別に、体の性が一致しない人とか、同性が好きな人がいたって全然構わない。

ただ、静かに普通に生活していてほしいだけ。

自分が働きもせず、税金で養われているのに「たまには鰻が食べたい」と叫ぶ連中には、「まじめに働いている人たちだって、鰻なんか滅多に食べられないのを知らないのか」と叫び返し、頭をぼこぼこにしてやりたい。こつこつ働いているからこそ、ごくたまに食べる鰻の美味しさをしみじみ実感するのだ。デモする生活受給者らは、汗水たらして働く納税者たちに感謝しているのだろうか。生活が保護されすぎて、自分らを「特権のあるお客様」か何かだと勘違いしているらしい。人間、一度保護され過ぎると、「クレクレモード」が増長するばかりで、頭を下げることがなくなるらしい。醜いばかりだ。